容赦なく押し寄せる野球時代の波の音は、どこともない秋晴れの空の果てから聞こえてくるであろう。そうして、午後の茶をのみながら、彼と研究をともにする若い学者たちに彼のしなびた左の薬指の第一関節における約二十度の屈曲を示し、「僕だってそうばかにしたものでもないよ」、そんなことをいっては皆に笑われながら、三十余年前の手製のボールのカーンとくる手ごたえを追懐しているであろう。
「白熱せる神宮競技」。「白熱せる万国工業会議」。こういうトピックスで逆毛《さかげ》立った高速度ジャズトーキーの世の中に、彼は一八五〇年代の学者の行なった古色|蒼然《そうぜん》たる実験を、あらゆる新しきものより新しいつもりで繰り返しているのであろう。そうして過去のベースを逆回りして未来のホームベースに到着する夢を見ていることであろう。
底本:「日本の名随筆 別巻73 野球」作品社
1997(平成9)年3月25日第1刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
1961(昭和36)年2月
入力:もりみつじゅんじ
校正:多羅尾伴内
2003年4月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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