とがある。なんでも昔寄宿舎で浜口雄幸《はまぐちおさち》、溝淵進馬《みぞぶちしんま》、大原貞馬《おおはらていま》という三人の土佐人と同室だか隣室だかに居たことがある、そのときこの三人が途方もない大きな声で一晩中議論ばかりしてうるさくて困ったというのである。
 この三人の方々に聞いてみたら何かしら学生時代の先生の横顔を偲ばせるような逸話でも聞き出されたかもしれなかったのであるが、浜口氏は亡くなり、大原氏は永く消息を聞かない。溝淵氏は自分等の中学時代に『ラセラス伝』を教わった先生であって、その後ずっと高等学校長を勤めておられたがこれもついごく最近に亡くなられた。
 もう一つ、自分の学生時代に世話になった銀座のある商店の養子になっていた人から聞いた話によると、その実家というのが牛込の喜久井町で、そのすぐ裏隣りとかに夏目という家があった、幼い時のことだから、その夏目家の人については何の記憶もないがその家居のさまなどは夢のように想い出されるとのことであった。
 こういう種類の思わぬ縁故で先生の生涯の一部に接触した事のある人がまだまだ方々にいくらでも隠れているのではないかという気がする。
 われわれ
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