講演「雲の話」の筆記を校正していた。一、二頁見ているうちに急に全身が熱くなって来た。蒸風呂《むしぶろ》にでもはいったようで室内の空気がたまらなく圧《お》しつけるように思われた。すぐに立って左側の窓をあけたが風を引きかえしてはいけないと思ってすぐにまた締め切った。上衣を脱いで右側の机の上に投げ出し机の前に帰ったが同時に名状の出来ない胸苦しさを覚えた。横臥したいと思ったが寝る所がないから机の上に突伏《つっぷ》して右に左に頭をもたせてみたが胸苦しさは増すばかりで全身は汗ばんで来た。室の向うの隅に毛布があるのを思い出して席を立ってそれを取りに行った。毛布に手をかけた瞬間に眼界が急に真暗になってからだが左右にゆらぐを覚えた。何とも知らずしまったという気がした。次の瞬間には自分の席の背後の扉の前に倒れていた。どうしてここまで来たかは全く覚えていない。何とも云えぬ苦悶が全身を圧《おさ》え付けて冷たい汗が額から流れた。その苦しみを少しでも軽くする唯一の方法として大きな唸《うめ》き声を出しつづけた。二、三日前靴を修繕にやったので古いゴツゴツの靴をはいていたがそれが邪魔で堪らない。足を悶《もだ》える度《た
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