と思った。土の性質、肥料や水の供給、それから光線や温度の関係で同じ種から貴族と平民が生まれるのであった。花の貴族と平民とは物を言わないから争闘はない。こんな事を考えたりした。
 次にはO君から浅い大きな鉢《はち》にいろいろの草花を寄せ植えにしたのを届けてくれた。中心になっているのはやはりベコニアで、その周囲には緑色の紗《しゃ》の片々と思うようなアスパラガスの葉が四方に広がり、その下から燃えるようなゼラニウムがのぞき、低い所にはアルヘイ糖のように蟹《かに》シャボの花がいくつか鉢の縁にたれ下がっていた。一つ一つの花はきれいであるがこのように人工的に寄せ集めたところになんとなく物足りない不自然さがあった。しかしともかくもにぎやかに花やかなものであった。眠られぬ夜中の数時間はこの花のためにもどれほどか短くされた。眠られぬままにいろいろな事を考えた中にも、N先生が病気重態という報知を受けて見舞いに行った時の事を思い出した。あの時に江戸川《えどがわ》の大曲《おおまがり》の花屋へ寄って求めたのがやはりベコニアであった。紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田《わせだ》まで持って行った。あのころからもうだいぶ悪くなっていた自分の胃はその日は特に固く突っ張るようで苦しかった。あとから考えてみるとあの時分から自分の胃はもう少しずつ出血を始めていたのである。そうとも知らずわずかの車賃を倹約するつもりで我慢して歩いて行った。重態の先生には面会は許されなかった。しかし持って行った花は夫人が病床へ運んでくれた。夫人はやがて病室から出て来て「きれいだなと言っていましたよ」と言った。考えてみるとこれが先生から間接にでも受けた最後の言葉であった。今自分は先生の生命を奪い去った病と同じ病で入院している。幸いに今度はたいして危険もなくて済みそうである。同じ季節に同じ病気をして同じベコニアの花を枕《まくら》もとに見るというのは偶然の事といえば偶然であるが、よく考えてみたらそこに何かの必然の因果があるのではないかという気がした。普通に偶然の暗合と見られる事でも、実はそうでない場合がかなりしばしばある。先生と弟子《でし》との間にある共通な点があらば、それは単に精神的のものでもこれが肉体の上に多少の影響を及ぼさないとは言われない。あるいは逆に肉体に共通な点のあるのが原因でそれが精神に影響して二人の別々な人間の間に師弟の関係を生じる一つの因縁にならないとは限らぬ。もしそうだとすれば先生と弟子とが同じ病気にかかる確率《プロバビリティ》は、全く縁のない二人がそうなるより大きいかもしれない。病気が同じならば同じ時候によけいに悪くなるのはむしろありそうな事である。こんな事を考えたりした。そしてその時にはこれがたいへんに確実な理論《セオリー》ででもあるような気がしたのであった。
 退院するころには蘭《らん》の花もすっかり枯れて葉ばかりになった。ポインセチアも頂上の赤い葉だけが鳥毛のようになって残っていた。サイクラメンもおおかたしなびてしまった。しかしベコニアだけは三つとも色はあせながらもまだ咲き残っていた。それでともかくもみんな退院の荷車に載せて持ち帰るつもりでいたが、あいにくその日雨が降りだした、そして荷車には雨おおいがないというので人力車で荷物を運ぶ事になった。それがために花鉢《はなばち》は皆残して行く事にした。看護婦に、迷惑だろうがどうにか始末をしてもらいたいと頼んだら「いただきます」と答えてニコニコしていたので安心した。ただO君からもらった寄せ植えの鉢《はち》だけはまだ花の色もあざやかであるから惜しいと言って、妻がひざの上にのせて持ち帰った。しばらくはそれを応接間へ出してあったが、後には縁側の外の盆栽台に置かれたままで、毎夜の霜にさらされていた。ベコニアはすっかり枯れて茎だけが折れた杉箸《すぎばし》のようになり、蟹《かに》シャボの花も葉もうだったようにベトベトに白くなって鉢《はち》にへばりついている。アスパラガスの紗《しゃ》のような葉だけはまだ一部分濃い緑を保って立っている。
 三週間余り入院している間に自分の周囲にも内部にもいろいろの出来事が起こった。いろいろの書物を読んでいろいろの事も考えた。いろいろの人が来ていろいろの光や影を自分の心の奥に投げ入れた。しかしそれについては別に何事も書き残しておくまいと思う。今こうしてただ病室をにぎわしてくれた花の事だけを書いてみると入院中の自分の生活のあらゆるものがこれで尽くされたような気がする。人が見たらなんでもないこの貧しい記録も自分にとってはあらゆる忘れがたい貴重な経験の総目次になるように思われる。
[#地から3字上げ](大正九年五月、アララギ)



底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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