ら歓喜するような声である。始めの一声二声はまだ充分に眠りのさめきらぬらしい口ごもったような声であるが、やがてきわめて明瞭《めいりょう》な晴れやかなさえずりに変わる。窓の外はまだまっ暗であるが「もう夜が明けるのだな」という事が非常に明確な実感となって自分の頭に流れ込む。重苦しい夜の圧迫が今ようやく除かれるのだという気がすると同時にこわばって寝苦しかった肉体の端から端までが急に柔らかく快くなる。しばらく途絶えていた鳥の声がまた聞こえる。するとどういうものか子供の時分の田舎《いなか》の光景がありあり目の前に浮かんで来る。土蔵の横にある大きな柿《かき》の木の大枝小枝がまっさおな南国の空いっぱいに広がっている。すぐ裏の冬田一面には黄金色《こがねいろ》の日光がみなぎりわたっている。そうかと思うと、村はずれのうすら寒い竹やぶの曲がり角《かど》を鳥刺し竿《ざお》をもった子供が二三人そろそろ歩いて行く。こんな幻像を夢うつつの界《さかい》に繰り返しながらいつのまにかウトウト眠ってしまう。看護婦がそろそろ起き出して室内を掃除《そうじ》する騒がしい音などは全く気にならないで、いい気持ちに寝ついてしまうのである
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