かに遠いかなたで時々カチャンと物を取り落としたような音がする、それから軽くパタ/\/\とたとえば草履《ぞうり》で廊下を歩くような音も聞こえる。これらのかすかな、しかし原因のわからない、なんだかこの世のあらゆる現実の物音とは比較のできないような雑音が不規則な間隔を置いて響いて来る。それが天井の高い、長い廊下に反響してなんとなく空虚なしかも重々しい音色に聞こえるのである。しばらく止まっているかと思うとまた始まる。そして今度は前に聞こえたとは少し違った見当に、しかも前よりはだいぶ近い所で聞こえだす。近よるに従ってこの音は前のような不思議な性質を失って、もっと平凡な現実的な音色に変わって来る。それはちょうど鉄鎚《てっつい》で鉄管の端を縦にたたくような音である。不意に自分のベットの足もとのほうでチョロ/\/\と水のわき出すような音がしばらくつづいて、またぱったりやむ。鉄管をたたくような音がだんだん近くなって来ると、今度は隣室との境の壁の下かと思う所で、強くせわしなくガチンガチンと鳴りだす。たとえばそれは小さいしかし恐ろしい猛獣がやけに檻《おり》にぶっつかるかと思うような音である。すると今まで鈍い
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