また一つ忘れてならぬ事はこれらの微小な残余の項が多くはいわゆる偶然の方則に従って分布され、プラスとマイナスとが相消去するために結果が蓄積せぬ事である。一定の位置並びに寒暖計の示す温度において測った金属棒の長さは、不可測的の雑多な微細な原因のために、種々異なる価を与えても多数の測定の平均はある程度まで一致すると考えられるのはやはりこの偶然の御蔭である。こういう風に考えれば長さという言葉の意味もほぼ定まって来る。
こういう風に考えて来ると、方則というものの見方が色々あるように思われる。吾人がある有限な条件を限ってこれを指定し、他の影響は全くないと仮定した場合の結果を云い表わすものとも云われる。これは簡単明瞭であるが抽象的である。この考えでは方則を云い表わす方程式は初めから有限の独立変数を含む有限の項から成るものである。しかし厳密に云えば、かくのごとき抽象的の状況は実現する事の出来ぬものである。もう一つの見方は、この方程式の後尾へそれ自身に小さくまた沢山の場合の平均が零に漸進するような無限級数を附加して考えるのである。平たく云えば、方則というものを一種の平均の近似的の云い表わしと考えるのである。そうすれば方則というものはよほど現実的な意味を持つようになって来る。このような区別は甚だつまらぬ事のようであるが、自分はあながちそうとは思わない。
ガス体の方則などはガスを均質な連続体と見做《みな》す時は至極簡単な意味のものであるが、これが沢山な分子の集合体であると見做せば、これらの方則は複雑多様な関係の平均の云い表わしという外には意味はなくなってしまう。電気のごときも近来量子的のものと考えられる以上は、例えば静電気分布に関する旧来の理論も畢竟一種の統計的の意味しかないようになって来る。光などでも単一な球面波のごときものは実現し難いものであって、実際の光はやはり複雑多様な要素の集団であって光の強度というような概念も多くはただ平均的の意味を有《も》つのみである。
しかし人間が超顕微鏡的の眼を有っていない以上は分子や電子を直接見る事が出来ない。それで多くの場合にはこのようなものを考えなくて却《かえ》って事柄は簡単に明瞭に処理されるのである。もし量子的の考えを用いずしてすべての現象が矛盾なしに説明され得るのであったら、何を苦しんで殊更に複雑な統計的の理論を担ぎ出す必要があるであろう
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