写真電送機械の機構にもやはり同様な原理が応用されている。この場合には土器を漏れる水の代りにフィルムを巻いた回転円筒が使われ、棒に刻んだ線を人間が眼で見て烽火を挙げる代りに真空光電管の眼で見た相図《あいず》を電流で送るのである。
 自働電話の送信器の数字盤が廻るときのカチカチ鳴る音と自働連続機のピカピカと光る豆電燈の瞬きもやはり同じような考えを応用して出来た機構の産物であると見れば見られなくはないであろう。
 このように、二千年前の骨董《こっとう》の塵の中にも現代最新の発明の種があるとすれば、同じ塵の中には未来の新発明の品玉がまだまだいくらも蔵されているかもしれない。
「アー、そんなものは君、もう二十年も前にドイツの何某が試みて失敗したものだよ」といったようなことをしたり顔に云って他人の真面目なそうして実際はかなり有望な独創的研究をあたまからけなしつけるようないわゆる大家も決して珍しくはない。「それは君、昔フランスでやったものだよ」と云って若い技師の進言を言下に退ける局長もまた珍しくはないであろう。これらの大家や局長がアイネアスの兵法を読んでいなかったおかげで電信印字機や写真放送機が完成したかもしれないのである。

      三 御馳走を喰うと風邪を引く話

 昔、自分の勤めていた役所にMという故参《こさん》の助手がいた。かなりの皮肉屋であったが、ときどき面白い観察の眼を人間一般の弱点の上に向けて一風変ったリマークをすることがあった。その男の変った所説の一例を挙げると、自分が風邪を引いて熱を出したりしたとき「アンマリ御馳走を喰べ過ぎるんじゃあないですか」と云ってはにやにや笑うのであった。
 御馳走を喰うと風邪を引くというのは一体どういう意味だか分からなかった。御馳走を喰えば栄養になり、喰い過ぎれば腹下りを起こすくらいのことは知っていたが、この、医学者でも物理学者でも何でもない助手M君の感冒起因説は当時の自分の医学上の知識を超越していたのである。
 しかし、その当時気のついていたことは、何かしら自分の研究仕事にうまい糸口が見付かってそれですっかり嬉しくなって仕事に夢中になる、そういう時にどうもきまって風邪を引くらしいということである。尤もこれとてもそういう時にひいた風邪だけが特に記憶に残るので、それでそういう片手落ちの結論に導かれたのかもしれないが、しかし、そうばかりでもないと思われる理由はたしかにある。そう云った風に夢中になっているときには、暑さや寒さに対して室温並びに衣服の調節を怠るような場合がどうしても多い上に、身心ともに過労に陥るのを気持の緊張のために忘却して無理をしがちになるから自然風邪のみならずいろんな病気に罹りやすいような条件が具備する訳かと思われるのである。
 そうだとすると、これは精神的の御馳走を喰い過ぎたために風邪を引くのだと、云えば云われなくもないであろう。
 しかし、その当時に、当時には御馳走と思われた牛鍋《ぎゅうなべ》や安洋食を腹いっぱいに喰って、それであとで風邪を引いたというはっきりした経験はついぞ持合わせず、従ってM君の所説は一向に無意味なただの悪《にく》まれ口としか評価されないで閑却されていたのである。
 ところが、おかしなことにはつい近年になってこのM君の無意味らしく思われた言葉が少しずつ幾分かの意味を附加されて記憶の中に甦《よみがえ》って来るような気がする、というのは、どうかして宴会や友達との会合などが引続いて毎日御馳走を喰っていると、その揚句《あげく》にふいと風邪を引くというような経験がどうも実際に多いような気がして来たのである。御馳走の直接の結果であるか、それとも御馳走に随伴する心身の疲労のためだかその点は分からないが、とにかく事実そういう場合が多いらしい。
 昔から、粗食が長寿の一法だとの説がある。これは考えてみると我がM君の説を裏側から云ったもののように思われて来る。一体普通の道理から云うと年をとればうまいものを喰って栄養をよくした方がよさそうに思われるが、うまいものはついつい喰い過ぎる恐れがある。しかし、まずいものは喰い過ぎたくても喰い過ぎる心配が少ない。つまり、粗食それ自身がいいのではなくて喰い過ぎないことがいいのかもしれない。もしか粗末なものを喰い過ぎることが出来たらその結果は御馳走の飽食よりもっと悪いかもしれないであろう。そうだとすると、結局、なるべくうまい上等の御馳走を少し喰っているのが一番の長寿法だということになるかもしれない。これはやさしそうでなかなか六かしいことらしい。
 胃が悪い悪いと年中こぼしながら存外人並以上に永生きをした老人を数人知っている。これも御馳走を喰い過ぎたくても喰い過ぎられなかったおかげかもしれないと思われる。食慾不振のおかげで、御馳走がまずく喰われるという幸運を持合せたのであろう。何が仕合せになるかもしれないのである。

      四 半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話

 流感が流行《はや》るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るという説があったが今年はどうであったか。マスクをかけて歩く人が多いということは感冒が流行している証拠にはならない。流行の噂に恐怖している人の多いという証拠になるだけである。
 流感は初期にかかると軽いが後になるほど悪性だとよく人が云う。黴菌《ばいきん》がだんだん悪ずれがして来て黴菌の「ヒト」が悪くなるせいでもなさそうである。
 流行の初期に慌《あわ》てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少しばかり熱でも出るとすぐにまいってしまって欠勤して蒲団《ふとん》を引っかぶって寝込んで静養する。すればどんな病気でも大抵は軽症ですんでしまう。ところが、抵抗力の強い人は罹病《りびょう》の確率が少ないから統計上自然に跡廻しになりやすい、そうしてそういう人は罹っても少々のことではなかなか最初から降参してしまわない。そうして不必要で危険な我慢をし無理をする、すれば大抵の病気は悪くなる。そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進《こうしん》して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。
 自慢にならぬことを自慢するようで可笑《おか》しいが、自分などは冬中はいつでも半分風邪を引いている。詳しく言えば、風邪の症状を軽微なる程度において不断に享楽している。無理をしたくても出来ないという有難い状況に常住しているのである。そのために、あらゆる義理を欠き、あらゆる御無沙汰をして、寒さを逃げ廻っては、こそこそと一番大事なと思う仕事だけを少しずつしている。そのお蔭で幸いに今年はまだ流感に冒されず従って肺炎にもならずに今日までたどりついたような気がする。ましてや雪の山で遭難して世間を騒がす心配などは絶対になくてすんでいるわけである。
 危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄|無垢《むく》の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散《いちもくさん》に飛込んでしまうこともあるようである。心の罪の重荷が足にからまって自由を束縛されている人間は却《かえ》って現実の罪の境界線が越えにくいということもあるかもしれないのである。
 今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論《へんちきろん》に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくらかの真実があるかもしれないと思われる。
 このような変痴奇論を敷衍《ふえん》して行くと実に途方もない妙な議論が色々生まれて来るらしい。例えば孔子の教えた中庸ということでも解釈のしようによっては「いつも半分風邪を引いているように」という風に受取れるかもしれない。生まれてから七、八十歳で死ぬまで一度も風邪を引かないような人があったら、はたが迷惑かもしれない。クリストに云わせても、それほどに健康ではち切れそうだと、狭い天国の門を潜るにも都合が悪いであろう。
 あえて半分風邪を引くことを人にすすめるのではない。弱いものの負惜しみの中にも半面の真があるというだけの話である。
 星の世界の住民が大砲弾に乗込んで地球に進入し、ロンドン附近で散々に暴れ廻り、今にも地球が焦土となるかと思っていると、どうしたことか急にぱったりと活動を停止する。変だと思ってよく調べてみると、星の世界には悪い黴菌がいないために黴菌に対する抗毒素を持合わせない彼《か》の星の住民は、地球上の数々の黴菌に会って一たまりもなく全滅した。こういう架空小説を書いた人がある。
 あまり理想的に完全なマスクをかけて歩いているとついマスクを取った瞬間にこの星の国の住民のような目に会いはしないか。そんなことを考えると、うっかりマスクを人にすすめることも出来ない。それかと云ってマスクをやめろと人に強《し》いる勇気もない。ただ世の中にマスク人種と非マスク人種との存在する事実を実に意味の深い現象としてぼんやり眺めているばかりである。
[#地から1字上げ](昭和九年三月『経済往来』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年7月
※この作品は「経済往来」(昭和9年3月1日)に発表された。署名「吉村冬彦」。「触媒」に収録(底本の「後記」433ページより)
入力:砂場清隆
校正:青野弘美
2003年2月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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