らは往々忘れられる事である。渾沌《こんとん》とした問題を処理する第一着手は先ず大きいところに眼を着けて要点を攫《つか》むにあるので、いわゆる第一次の近似である。しかし学者が第一次の近似を求めて真理の曙光を認めた時に、世人はただちに枝葉の問題を並べ立てて抗議を申込む。例えば天気予報などもある意味においてそうである。第一次の近似だけでもそのつもりで利用すれば非常に有益なものである。第二次第三次と進むには多大の努力と時日とを要する事は云うまでもない。これも学問を応用しようとする学者と、応用の結果を期待する世間とを離間する誤解の原因であろうと思う。
 眼前の小利害にのみ齷齪《あくせく》せず、真に殖産工業の発達を計り、世界の進歩に後れぬようにしようと志す人は、もう少し基礎的科学の研究を重んじ、またこれを応用しようという場合には、少し気を永くしてあまりに急な成効を期待しないようにしなければならぬと思われる。
 また物理学を修めて後各種の実務に従事する人は、物理学は単に机上の学問ではなくて、到る処に活用の途のある学問だという事を忘れず、新しい応用方面の開拓に尽力されたいものである。
[#地から1字上げ](大正二年三月『理学界』)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年
初出:「理学界」
   1913(大正2)年3月1日
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
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