従来の型を離れて新しい発展をしようとするにはどうしても物理学、力学の応用に依《よ》る外はないように思われる。近年安藤農学士が植物の霜害に関する研究をされたが、これらも面白い物理的研究の一例であろう。
我邦《わがくに》の産業中で農業に劣らず重要な水産漁業の方面でも物理学的研究の必要はだんだんに増して来るようである。これには先ず海洋それ自身の研究の必要な事は勿論である。海洋に関する物理的事項の重《おも》なるものについては近頃出版した拙著『海の物理学』にその梗概《こうがい》を述べておいた。なお直接水産方面に関して、自分の知っているだけの僅少な例を挙げてみると、第一に漁具ことに網の研究である。各種の網糸の強弱弾性やその温度湿度によっての変化とか、網に付ける浮標の浮力、浸水の度やその耐圧度とか、あるいは網面に当る潮流の抵抗の研究とか、いずれも物理学、力学の応用によって解決せらるべき問題である。次に太陽や燈火の光が海中に入り込む程度は漁業上重要な問題であるが、これを要するに光学上の問題に帰着する。上層と下層における魚類の色を自然淘汰によって説明した動物学者があるが、その基礎とするところは海中における光の吸収の研究である。また海岸の森林が魚類に如何《いか》なる影響があるかという問題があるが、これもいわゆる魚視界と名づける光学上の問題が多少関係して来る。また塩魚類|鰹節《かつおぶし》の乾燥とか寒天の凍結とかいう製造方面の事柄にも物理学応用の範囲は意外に広大であるように見受けられる。近頃藤原理学士が乾燥に関する面白い物理学的の理論を出された。おそらくこの方面の先駆と見てよかろうと思う。
以上は自分の狭い知識の範囲内で僅少な実例を挙げたに過ぎないが、要するにこれらの産業方面でも意外な物理学応用の区域がある事は疑いのない事である。
今一般に実際上の問題に物理学を応用しようとする時に、第一着手としてしなければならぬ事は問題自身の分析的研究である。実際上に起る問題をちょっと見ると簡単なようでも通常非常に複雑なものである。同時に範囲の判然せぬ問題が多い。例えば光線が海中に入り込む深さは幾何《いくばく》かという問題が起ったとする。この問題に答える前に先ず問題から研究して掛からねばならない。第一光線には色々種類がある。太陽の光線なればその成分もほぼ明らかであるが、人工の燈光なればその光の色や
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