冬の霜夜の辻占《つじうら》売りの声であった。明治三十五年ごろ病気になった妻を国へ帰してひとりで本郷《ほんごう》五丁目の下宿の二階に暮らしていたころ、ほとんど毎夜のように窓の下の路地を通る「花のたより、恋のつじーうら」という妙に澄み切った美しく物さびしい呼び声を聞いた。その声が寒い星空に突き抜けるような気がした。声の主は年の行かない女の子らしかった。それの通る時刻と前後して隣の下宿の門の開く鈴音がして、やがて窓の下から自分を呼びかける同郷の悪友TとMの声がしたものである。悪友と言っても藪蕎麦《やぶそば》へ誘うだけの悪友であった。「あいつ、このごろ弱っているから引っぱり出して元気をつけてやれ」と言って引っぱり出してくれる悪友であったのである。
「あんま上下《かみしも》二百文」という呼び声も古い昔になくなったらしいが、あのキリギリスの声のようにしゃがれた笛の音だけは今でもおりおりは聞かれる。洋服に靴《くつ》をはいた姿で、昔ながらの笛を吹いて近所の路地を流して通るのに出会ったのは、つい数日前のことであった。
盛夏の朝早く「ええ朝顔やあさがお」と呼び歩くのは去年も聞いた。買ってくれそうな家の付近では繰り返し往復して、それでも買わないとあきらめて行ってしまったのは昔のことで、今ではやはり裏木戸から台所へはいって来て、主人や主婦を呼び出すのが多いようである。
「ええ鯉《こい》や鯉」というのも数年以来聞かないようである。「ええ竿竹《さおだけ》や竿竹」というのをひと月ほど前に聞いたのは珍しかった。
こういうふうに、旋律的な物売りの呼び声が次第になくなり、その呼び声の呼び起こす旧日本の夢幻的な情調もだんだんに消えうせて行くのは日本全国共通の現象らしい。
郷里で昔聞き慣れた物売りの声も今ではもう大概なくなったらしいが、考えてみるとずいぶんいろいろのものがあった。その中には子供の時分の親しい思い出に密接に結びついて忘られないものもかなり多数にある。
夏になると徳島《とくしま》からやって来た千金丹《せんきんたん》売りの呼び声もその一つである。渡り鳥のように四国の脊梁山脈《せきりょうさんみゃく》を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻《しり》を端折った脚絆草鞋《きゃはんわらじ》ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を代表するような白シャツを着
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング