物質群として見た動物群
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)駿河湾《するがわん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年四月、理学界)
−−

 せんだって、駿河湾《するがわん》北端に近い漁場における鰺《あじ》の漁獲高と伊豆《いず》付近の地震の頻度《ひんど》との間にある関係があるらしいということについて簡単な調査の結果を発表したことがあった。このように純粋に物質的な現象、すなわち地震のような現象と、生物的、かつ人為的要素の錯雑した漁獲といったようなものとの間の相関を取り扱うことが科学的に許容されるかどうかという問題については、往々物理学者の側でもまた生理学者の側でも疑問をさしはさむ人が存するようである。近ごろまた自分の知人の物理学者が魚群の運動に関する研究に物理学的の解析方法を応用しておもしろい研究をしているのであるが、これに対しても、生理学者の側では「生物の事が物理学でわかるはずがない」という簡単な理由から、その研究の結果に正当な注意の目を向けることなしに看過する傾向があるかと思われる。
 人間のごとき最高等な動物でも、それが多数の群集を成している場合について統計的の調査をする際には、それらの人間の個体各個の意志の自由などは無視して、その集団を単なる無機的物質の団体であると見なしても、少しもさしつかえのない場合がはなはだ多い。たとえば街路を歩行する人間の「密度」や「平均速度」に関する統計などには、純粋な物質的の問題たとえばコロイド粒子の密度の場合に応用さるる公式を、そのまま使用しても立派に当てはまることが実証的に明らかになっている。平田《ひらた》理学士は、先年、某停車場の切符売り場の窓口に立ち寄る人の数に関する統計的調査に普通の統計理論を応用して、それが相当よく当てはまる事を確かめた。最近に東京帝国大学地震学科学生某氏は市内二か所の街上における自動車の往復数に関する統計についても、やはりかなりの程度まで同様な物理的方則が適用される事を示した。これらはむしろ当然なことと言わなければならない。いわゆる「大数」の要素の集団で個々の個性は「充分複雑に」多種多様であって、いわゆる「偶然」の条件が成立するからである。
 これについて思い出すのは、東京の著名な神社の祭礼に、街上で神輿《み
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング