に、おたいこ結びの帯の端のように斜めに胸の上に現われていた。こういういで立ちをした白皙無髯《はくせきむぜん》、象牙で刻したような風貌が今でも実にはっきりと思い出されるのである。
この街頭における四方太氏のいで立ちを夏目先生に報告したら、どういうわけか先生がひどくおもしろがって腹が痛くなるほど笑われたことも思い出すのである。このおかしかったわけは今でもわからない。
そのころであったと思う。自分は白いネルをちょん切っただけのものを襟巻にしていた。それが知らぬ間にひどくよごれてねずみ色になっているのを先生が気にしていた。いつか行ったとき無断で没収され、そうして強制的にせんたくを執行された上で返してくれたことがあった。そのネルの襟巻と四方太氏の玉子色の上等の襟巻との対照もおかしいものの一つではあったかもしれない。
夏目先生は四方太氏のきちんとした日常をうらやましく思うおりもあったかもしれないと思う。先生はきちんとした事が好きであったにかかわらずきちんとしうるためにはあまりに暖かい心臓の持ち主であったかもしれないと思うからである。自分は四方太氏にもやさしい親しみを感ずることはできたが、しかしあまりにきちんとして近より難いような気もしたのであった。今日になって漱石四方太二人の俳句や文章を並べてみても、この対照が実にはっきり見えるような気がするのはあながち自分ばかりではないかもしれない。
四
去年の夏であったか、ある朝玄関へだれか来たようだと思っていると、女中が出ての取り次ぎによると「俳句をおやりになるAさんというかたがお見えになりました」というのである。聞いたことのない名前である。出て見るとまだ若い学生のような人であるが、無帽の着流しで、どこかの書生さんといった風体である。玄関で立ったまま来意を聞くとさげていた小さなふろしき包みを解いて中からだいぶよごれた帳面を出した。それになんでもいいから俳句を書いてもらいたいという。近くに田舎へ帰るので、できるだけ多くの俳人に自筆の句をもらってみやげにしたいというのである。帳面は俳句日記かなんかの古物であったかと思うが、明けて見るとなるほどいろいろの人の手跡でいろいろの句がきたなく書き散らしてある。自分は俳人でもないからと一応断わってみたが、たってと言われるので万年筆でいいかげんの旧作一句をしたためて帳面を返した。すると今度はふろしきの中から一冊の仮りとじの小さな句集のようなものを取り出して自分の前に置いた。手に取って見るとそれは知名の某俳人の句集であったが、その青年のいうところによると、その俳人がこの人のためにもし何かのたしになるならと言って若干冊だけ恵与されたものだそうである。しかしそれをどうすればよいのかわからなかったので、はなはだ露骨ではあったが「これを私に買えとおっしゃるのですか」と聞いてみたら、やはり究極のところはそうであったのである。
こういう些細なことも昭和俳諧史のどこかのページの端に書き残しておいてもいいと思うので単なる現象記録としてここにしるしておくことにした。
俳諧|一串抄《いっかんしょう》に「俳諧はその物その事を全くいわずただ傍をつまみあげてその響きをもってきく人の心をさそう」という文句がある。
うちへ来たこの俳諧青年はやはりこの俳諧の心得の応用の一端を試みたのかもしれない。
このあいだ、ある歌人が来ての話の末に「今の若い人にさびしおりなどと言ってもだれも相手にしないであろう」という意味の意見を聞かされた。しかしこの青年などはさびしおりを処世術に応用しているほうかもしれないのである。
五
昨夜古いギリシアの兵法書を読んでいたら「夜打ちをかける心得」を説いたくだりに、狗吠《こうはい》や鶏鳴を防止するためにこれらの動物のからだのある部分を焼くべしということが書いてある。お灸でもすえるのかと思う。この本の脚注に、昔パルティア人が馬のいななくを防ぐためにそのしっぽをしっかりと緊縛するという方法をとった。そうすると馬は尻尾の痛苦に辟易していななく元気がなくなると書いてある。どうも西洋人のすることは野蛮で残酷である。東洋では枚《ばい》をふくむという、もっと温和な方法を用いていたのである。同じ注に、欧州大戦のときフランスに出征中のアメリカ軍では驢馬のいななくのを防ぐために「ある簡単なる外科手術を施行した」とある。やはり西洋人は残酷である。
昨夜これを読んだけさ「南北新話」をあけて見ると
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夜の明けやすい白無垢は損
惟光《これみつ》が馬はしのばずいなないて
[#ここで字下げ終わり]
という付け合わせが例句として引用されている。その前に「前句のすがたをうずたかく見いだしたる句に」という前置きがあり、後に「これ扇に夕がおのころな
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