ればならないと思われる。はたしてそうだとすれば、これらの十五種の「古池や」の翻訳のうちで、もし傑作があったら、それは単なる偶然に過ぎないであろう。
 一流の俳人で同時に一流の外国語学者でない限り、俳句の翻訳には手を下さないほうが安全であろう。
[#地付き](昭和八年十一月、渋柿)

     三

 故坂本|四方太《よもた》氏とは夏目先生の千駄木町《せんだぎちょう》の家で時々同席したことがあり、また当時の「文章会」でも始終顔を合わせてはいたが、一度もその寓居をたずねたことはなかった。それにもかかわらず自分は同氏の住み家やその居室を少なくとも一度は見たことがあるような錯覚を年来もちつづけて来た。そうしてそれがだんだんに固定し現実化してしまって今ではもう一つの体験の記憶とほとんど同格になってしまっている。どうしてそんなことになったかと考えてみるが、どうもよくはわからない。
 夏目先生が何かの話のおりに四方太氏のことについて次のようなことを言ったという記憶がある。「四方太という人は実にきちんとした人である。子供もなく夫婦二人きり全くの水入らずでほんとうに小ぢんまりとした、そうして几帳面な生活をしている」といったような意味のことであったと思う。同じようなことを一度ならず何度も聞かされたように思う。
 この、きちんとして、小ぢんまりしているという言葉が自分の頭にある四方太氏の風貌ときわめて自然に結びついて、それが自分の想像のスケッチブックのあるページへ「坂本四方太寓居の図」をまざまざと描き上げさせる原動力になったものらしい。その想像の画面に現われた四方太の住み家の玄関の前には一面に白い霜柱が立っている。きれいに片付いた六畳ぐらいの居間の小さな火鉢の前に寒そうな顔色をして端然と正座しているのである。
 文章会で四方太氏が自分の文章を読み上げる少しさびのある音声にも、関西なまりのある口調にも忘れ難い特色があったが、その読み方も実にきちんとした歯切れのいい読み方であった。「ホッ、ホッ、ホッ」と押し出すような特徴ある笑声を思い出すのである。
 ある冬の日の本郷通りで会った四方太氏は例によってきちんとした背広に外套姿であったが、首には玉子色をしたビロードらしい襟巻をしていた。その襟巻を行儀よく二つ折りにした折り目に他方の端をさし込んだその端がしわ一つなくきちんとそろって結び文の端のよう
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