いうものの観念のない人の説である。俳句の尽きる前におそらく日本語が変わってしまうではないかと思われるが、しかしこの問題はなかなかそう簡単な目の子算で決定されるような生やさしいものではないのである。杞人《きひと》の憂《うれ》いとはちょうどこういう取り越し苦労をさしていうものであろうと思われる。

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(付記) このわずかな紙面の上に表題のごとき重大な問題を取り扱おうという大胆な所業はおそらく自分のごとき無学なる門外漢の好事者にのみ許された特権であろう。しかしあまりにも無作法にこの特権を濫用したこの蕪雑《ぶざつ》なる一編の放言に対しては読者の寛容を祈る次第である。はじめは、いくらか系統的な叙述の形式を取ろうと企てたが、それは第一困難であるのみならず、その結果はただの目録のようなものになってしまう恐れがあるので、むしろ自由に思いのままに筆を走らせることにした。従って触れるべき問題にして触れ得なかったものも少なくない。これらについては他日雑誌「渋柿」の紙上でおいおいに所見を述べて批評を仰ぎたいと思っている。
 映画と連俳との比較については岩波版日本文学講座中の特殊項目「映画
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