小公倍数とか、最大公約数とかいったようなものになるという、そういう本質的内在的な理由もあったであろうが、また一方では、はじめはただ各個人の主観的詠嘆の表現であったものが、後に宮廷人らの社交の道具になり、感興や天分の有無に関せずだれも彼もダンスのステップを習うように歌をよむことになって来たために、自然に一定の型式を必要とすることになったのではないかと想像される。
 こういうふうにいったん固定してしまうと、それが他のあらゆる文化の伝統と連鎖を成してあたかもクロモソームのように結合し、そうして代から代へと遺伝されて来たものであろう。
 しかしまた遺伝のほうでいわゆる「突然変異《ミューテーション》」が行なわれるように、時々はいろいろな奇形児が生まれたであろうということは想像し難いことではない。しかしまた、そうした奇形児がいくらできてもその当時の環境に適合しなければその変形は存続することができなくて死滅したであろうと考えられる。
 短歌から連歌への変遷もやはり一種の進化と見られる。たとえば一個のポリプを二つにちぎって、それぞれに独立の生命を持たせ、そうしてあとでそれを次々に接枝して行って一つの群
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