かくのごとく我儘であるくせにまた甚だしく臆病な彼は、自分で断然年賀端書を廃して悠然|炬燵《こたつ》にあたりながら彼の好む愚書濫読に耽《ふけ》るだけの勇気もないので、表面だけは大人しく人並に毎年この年中行事を遂行して来た。早く手廻しをすればよいのに、元日になってから慌《あわ》てて書き始める、そうして肩を痛くし胃を悪くして溜息をしているのが、傍《はた》から見ると全く変った道楽としか思われないのであった。
 ところが、不思議なことに数年前から彼鵜照君の年賀状観が少なからず動揺を始めた。何を感じたかこの頃ではしきりに年賀状の効能と有難味《ありがたみ》を論じるようになった。今までとはまるで反対の説を述べて平気でいられるところが彼の彼らしいところを表現していて妙である。
 どうも彼のいう事には順序というものがないから簡単に要領を捕捉するのが困難であるが、まあ例えばこういう事をいう。
「空間の中にn個の点がある。そのおのおのの点から平均m本の線を引いて他のm個の点に結ぶ。そうすると合計nかけるのm本の線が空間に複雑なる網を織りだす。仮にnが一千万、mが百とすると十億本の線が空間に入乱れる。これらの線が一度はどこかの郵便局へ束になって集められ、そこで選《よ》り分けられて、幾筋かの鉄道線路に流れ込み、それが途中で次々に分派して国の隅々まで拡がってゆく。中には遠く大洋を越えて西洋の光の都、南洋のヤシの葉蔭に運ばれる。その数々の線の一つずつには、線の両端に居る人間の過去現在未来の喜怒哀楽、義理人情の電流が脈々と流れている。何と驚くべき空間網ではないか。」
 そういえば、それはそうであるが、何故にそれがそれほど有難いかはわれわれにはよくは分らない。これはたぶん横浜岸壁あたりで訣別の色テープの束の美しさを見て来てから考えたものらしい。
「自分の知人A、B、Cの三人が同じ市の同じ町に住まっている事を、年賀状をより分けてみて始めて気がつく。しかしA、B、C相互になんらの交渉もない赤の他人である。それが遠い所にある自分という一点を通じて空間的に互いに連結されている。そうして見るとAから流れだす電流の一部は廻り廻ってBやCをも通過するかもしれない。これを推し広めて考えると、結局少なくも日本国中のおのおのの人間は全国民のおのおのと切っても切っても切り尽せないほどの糸でつながり合っている訳である。」

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