る。
 皮膚の感覚についてのみ言われるこの涼味の解釈を移して精神的の涼味の感じに転用する事はできないか、これもまた心理学者の一問題となりうるであろう。

     向日葵

 中庭の籐椅子《とういす》に寝て夕ばえの空にかがやく向日葵《ひまわり》の花を見る。勢いよく咲き盛る花のかたわらにはもうしなびかかってまっ黒な大きな芯《しん》の周囲に干《ひ》からびた花弁をわずかにとどめたのがある。大きくなりそこなってまね事のように、それでもこの花の形だけは備えて咲いているのもある。大きな葉にも完全なのは少なく、虫の食ったのや、半分黒くなって枯れしぼんだのもある。そういう不ぞろいなものを引っくるめたすべてが生きたリアルな向日葵の姿である。しおれた花、虫ばみ枯れかかった葉を故意にあさはかな了簡《りょうけん》で除いて写した向日葵の絵は到底リアルな向日葵の絵ではあり得ない。
 精巧をきわめたガラス細工の花と真実の花との本質的な相違はこういう点にもある。写実を尊んで理想を一概に排斥する極端論者の説にも一理はある。実際ある浅薄な理想主義の芸術はまさにしんこ細工の花のようなものである。しかしそうかと言って虫食いや
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