[#「みみず」に傍点]でさえ、同じ種族と考えられるものが、「現時の大洋」を越えてまでも広がっているという事実を一方に置いて考えてみる。もちろんこの蚯蚓の先祖と人間の先祖とどちらが古いかというような問題はあってもそれは別として、この事実はともかくも、過去の世界じゅうの人間の間の相互の交渉は、普通想像されているよりも、想像されうるであろうよりも、もう少し自由なものではなかったかという疑いを喚起させるには充分であろうと思う。
世界じゅうの人間の元祖が一つであろうという事は単に確率論的の考察からもいちばん考えやすい事であるが、今ここで軽々しくそういう大問題に触れようとは思わない。ただ少なくも動物学上から見て同種な Homo Sapiens としての人間の世界の一部において任意の時代に発生した文化の産物のすべてのものが、時とともに拡散して行くのは、ちょうど水の中にたらした一滴のアルコホルの拡散して行く過程と、どこか類似したものであろう、という想像は、理論上それほど無稽《むけい》なものではあるまいと思われる。
昔の詩人ルクレチウスは、物質の原子はちょうどアルファベットのようなもので、種々な言語が有限なアルファベットの組み合わせによって生ずるごとく、各種の物質がこれら原子の各種の組み合わせによって生ずると書き残したが、この考えは近世になって化学式というものによっていくらか科学的に実現された。今この考えを逆に持って行くとこんな考えも起こし得られる。すなわち、まず、言語、国語という一つの体系は若干の語根元素から組成されていると仮定する。次には、この元素が化合して種々の言語や文章が組成されているが、これらの間にはその化合分解の平衡に関するきわめて複雑な方則のようなものがあると想像する。なおこれらの元素は必ずしも不変なものではなくて、たとえば放射性《ラディオアクティヴ》物質のごとく、時とともに自然《スポンテニアス》に崩壊《ディスインテグレート》し変遷《トランスミュート》する可能性を持つものと想像する。それでかりに地球歴史のある一定の時期において、ある特別の地点において、特殊の国語が急に発生したと仮定すると、それはちょうど水中にアルコホルの一滴を投じたと同様に四方に向かって拡散《ディフュージョン》を始めるであろうと仮想される。すなわちその国語の語根のある一つだけを取って考えると、それは
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