u試み」の結果を判断する合理的の標準なしに任意の結論を試みたり、あるいは「試み」に伴なう怪我《けが》のチャンスを恐れて、だれも手を下す事をあえてしなかったら、現在のわれわれの自然界に関する知識と利用収穫は依然として復興期以前の状態で足踏みをしていたであろう。そしてまた現在の進歩した時代から見た時に幼稚に不完全に見えないものがいかなる初期の科学の部門に見いだされうるであろうか。
余談はしばらくおいて、AB、AC、AD……の関係、なお念のために比較の主客を置換してBA、CA、DA……の関係の濃度に対するだいたいの比較的の数値を定める事ができたとすれば、少なくもここにABという一つの「鎖の輪」が、従来よりはやや科学的な根拠の上に仮設される。さすれば次には、前にAについて行なったと同様の方法を、今度はBについて行なうべきである。そうしてともかくも、BCという、「次の輪」の見当をつける。順次かくのごとくして、できるならばまた、世界の各方面から出発して、同じようにして、それぞれの鎖を――もちろんそういう鎖が存在するとの作業仮設のもとに――たぐって行く。もし多くの人の信ずるであろうごとく、この数々の鎖が世界のどこかに自然と集合すれば簡単である。さすればその焦点に集中した要素をやや確かに把握《はあく》し得らるるから、今度は逆の順序によってこの焦点から発散し拡散した要素の各時代における空間的分布を験する事ができる、その時に至ってはじめて、この編の初めに出した拡散に関する数式がやや具体的の意義を持って現われて来るであろう。もっともそれはできるとしてもはなはだ遠い未来において始めて実現されうる事であろう。
しかし上に考えた鎖はおそらく一点には集中しないであろう、それがどう食い違うか、そこに最も興味ある将来の問題の神秘の殿堂の扉《とびら》が遠望される。この殿堂への一つの細道、その扉を開くべき一つの鍵《かぎ》の、おぼろげな、しかも拙な言葉で表現された暗示としてのみ、この一編の正当な存在の意義を認容される事ができれば著者としてむしろ望外の幸いである。
自分はできるだけ根拠なき臆断《おくだん》と推理を無視する空想を避けたつもりである。しかし行文の間に少しでも臆断のにおいがあればそれは不文の結果である。推理の誤謬《ごびゅう》や不備があればそれは不敏のいたすところである。このはなはだ僭越《せん
前へ
次へ
全19ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング