かなりにむつかしそうに思われた。
 自分のまだ学生時代に、ある学者が、日本の神話の舞台をギリシア近辺へ持って行こうとする大胆な説を公にして問題になった事がある。自分は直接にその所説の全部を読んだわけではなかったが、その説の一部をどこかで瞥見《べっけん》して、いろいろその所説に対する疑いを起こした事もあった。しかし単に説の奇矯《ききょう》であり、常識的に考えてありそうもないというだけの理由から、この説を初めから問題ともしないでいたずらに嘲笑《ちょうしょう》の的にしようとする人のみ多い事にも疑いをいだかないわけには行かなかった。少なくも東欧の一部と極東日本との間に万一存在したかもしれないなんらかの古い関係の可能性という事までも、なんの考察もなしに否定せんとする人のあまりに多いのに驚いた。もちろん当時これに関する言語学者間の意見がいかなるものであったか自分は知らない。ここで自分のいうのは、言語学者でない一般有識階級と称するものについてである。とにかくギリシア古代と日本古代との間になんらの交渉もなかった[#「なかった」に傍点]という事を科学的に証明する事をはたしてだれがあえてしうるであろうと疑ったこともある。
 十年ほど前に少しばかりロシア語の初歩を学んだ事もあった。それがために「言語の不思議」に対する自分の好奇心と疑問とは、むしろ急に大きな高い階段を一つ駆け上がったような気がした。そして、一方で新しい不思議が多量に加わると同時に、他方ではこの新しい不思議が、かえって古い不思議のなぞを解くかぎとなりうる可能性を暗示するようにも見えた。それは単に語彙《ごい》中のあるもののみならず、その文法や措辞法に、東西を結びつける連鎖のようなものを認める、と思ったからである。
 最近に至って「言語」に対する自分の好奇心を急激な加速度で増長せしめるに至った経路はあるいは一部の読者に興味があるかもしれないし、また自分が本分を忘れて、他人の門戸をうかがうような不倫をあえてするに至った事の申し訳にもいくぶんはなるかもしれないから一つの懺悔話《ざんげばなし》としてここにしるしてみよう。
 地球物理学上の近年の問題となっている陸塊の水平移動に関する学説、俗に大陸漂移論と称するものから見た日本陸地の成立、変化、ならびにこれに連関して問題となるべき陸地の昇降、地震、火山現象等を追究するに当たって、しばしば
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