》や鳥毛の槍《やり》を押し立てて舞踊しながら練り歩く百年前の姿をした「サムライ日本」の行進のために「モダーン日本」の自由主義を代表する自動車の流れが堰《せ》き留められてしまったのである。青年団の人達と警官の扱いでようやくこの時ならぬ関所を通り抜けて箱根町に入った。
さすがに山は山だけに風が強く、湖水には白波が立って、空には雲の往来が早い。遊覧船は寒そうだから割愛することにした。
ホテルの食堂へはいって見ると、すぐ向うの席に有名な某音楽家の家族連れがいる。音楽家はボーイを読んで勘定を命じながら内かくしから紙入れを捜ってその中から紙幣のたばを引出した。十円札が二、三十枚もありそうである。それを眼の高さに三十センチの処まで持って来て、さて器用な手つきをしてぱらぱらと数えて見せた。自分達は半ば羨ましく半ば感心してそれを眺めたことであった。食堂のガラス窓越しに見える水辺の芝生に大名行列の一団が弁当をつかっているのが見える。揃いの水色の衣装に粗製の奴《やっこ》かつらを冠った伴奴《ともやっこ》の連中が車座にあぐらをかいてしきりに折詰をあさっている。巻煙草を吹かしているのもあれば、かつらを気にして何遍も抜いたり冠ったりしているのもある。
熱海行のバスが出るというので乗ってみることにした。峠へ上って行く途中の新道からの湖上の眺めは誠に女車掌の説明のごとく又なく美しいものである。昔の東海道の杉並木の名残《なごり》が、蛇行する自動車道路を直線的に切っているのが面白い。平野ではこれと反対に旧道の曲線を新道の直線で切っている場合が多いのである。人間の足と自動車とでは器械がちがうだけに「道路の科学」もまた違った解答を与えるのであろう。
航空気象観測所と無線電信局とがまだ霜枯れの山上に相対立して航空時代の関守の役をつとめている。この辺の山の肌には伊豆地震の名残らしい地割れの痕がところどころにありありと見える。これを見ていると当時の地盤の揺れ方がおおよそどんなものであったかという想像がつくような気がした。地震のあった昭和五年十一月二十六日から四年半近くの年月がたったのに、この大地の生創《なまきず》はまだ癒《い》えきらないのである。
十国峠《じっこくとうげ》までの自動車専用道路からの眺望は美しく珍しい。大きな樹木のないお蔭で展望の自由が妨げられないのがこの道路の一つの特徴であろう。右を見ると伊豆の国というものの大きさがぼんやり分かるようであり、左を見下ろすと箱根山の高さのおおよその概念が確定するような気がする。女車掌が蟋蟀《こおろぎ》のような声で左右の勝景を紹介し、盗人厩《ぬすびとうまや》の昔話を暗誦する。一とくさり述べ終ると安心して向うをむいて鼻をほじくっているのが憐れであった。十国峠の無線塔へぞろぞろと階段を上って行く人の群は何となく長閑《のどか》に見えた。
熱海へ下る九十九折《つづらおり》のピンヘッド曲路では車体の傾く度に乗合の村嬢の一団からけたたましい嬌声が爆発した。気圧の急変で鼓膜を圧迫されるのをかまわないでいたら、熱海海岸で車を下りてみると耳がひどく遠くなっているのに気がついた。いくら唾を呑込んでみても直らない。人の物いう声が遠方に聞こえる代りに自分の声が妙に耳に籠って響くので、何となく心細くなってしまった。
熱海は自分にはずいぶん思い出の多い土地である。明治十九年に両親と祖母に伴われて東海道を下ったときに、途中で祖母が不時の腹痛を起こしたために予定を変えて吉浜《よしはま》で一泊した。ひどい雨風の晩で磯打つ波の音が枕に響いて恐ろしかったのが九歳の幼な心にも忘れ難く深い印象をとどめた。それから熱海へ来て大湯《おおゆ》の前の宿屋で四、五日滞在した後に、山駕籠《やまかご》を連ねて三島《みしま》へ越えた。熱海滞在中漁船に乗って魚見崎の辺で魚を釣っていたら大きな海鰻《うみうなぎ》がかかったこと、これを船上で煮て食わされたが気味が悪くて食われなかったようなことなどを夢のように覚えている。東京から遥々《はるばる》見送って来た安兵衛という男が、宿屋で毎日朝から酒ばかり飲んでいて、酔って来ると箸で皿を叩きながら「ノムダイシ、一升五合」(南無大師遍照金剛《なむだいしへんじょうこんごう》)というのを繰返し繰返し唱えたことも想い出す。考えてみるとそれはもう五十年の昔である。
三十年ほど前にはH博士の助手として、大湯|間歇泉《かんけつせん》の物理的調査に来て一週間くらい滞在した。一昼夜に五、六回の噴出を、色々な器械を使って観測するのであるが、一回の噴出に約二時間もかかる上に噴出前の準備があり噴出後の始末もあるので、夜もおちおち安眠は出来なかった。自然の不可思議な機構を捜る喜びと、本能の欲求する睡眠を抑制するつらさとが渾然《こんぜん》と融和した形になって当時の
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