との喜びは、大小の差はあっても質は同じようなものらしい。子供等もこの発見にひどく興味を感じて、帰路にもう一遍よく見定めようということに衆議一決した。
国府津《こうづ》と小田原の中間に「雀の宮」という駅があったようだと子供達と話していたら、国府津駅の掲示板を見ていた子供の一人からそれは「鴨の宮」だという正誤を申込まれた。その子供の話によると、「ワシントン」という靴屋を間違えて「ナポレオン」と云った友達がいるそうである。しかし雀と鴨では少し大きさが違い過ぎると云って笑った。雀の宮は日光の近くにあったのである。
小田原ではバスが待っていたが、箱根町行は満員なので空席のあった小涌谷行に乗込んだ。湯本までの道路は立派なドライヴウェーである。小田原征伐当時の秀吉に見せてやりたかったという気もした。塔《とう》の沢《さわ》あたりからはぽつぽつ桜が見え出した。山桜もあるが、東京辺のとは少し違った種類の桜もあるらしい。関東地震や北伊豆地震のときに崩れ損じたらしい創痕《きずあと》が到る処の山腹に今でもまだ生ま生ましく残っていて何となく痛々しい。
宮《みや》の下《した》で下りて少時《しばらく》待っているうちに、次の箱根町行が来たが、これも満員で座席がないらしいので躊躇していたら、待合所の乗客係が気を利かして居合わせたハイヤーを別に仕立ててバス代用に提供してくれた。のろい人間もたまに得をすることがあるのである。小涌谷辺は桜が満開で遊山《ゆさん》の自動車が輻湊《ふくそう》して交通困難であった。たった一台交通規則を無視した車がいたため数十台が迷惑するというのがこういう場合の通則である。「クラブ洗粉《あらいこ》」の旗を立てた車も幾台かいた。享楽しながら商売の宣伝になるのは能率のいいことである。
この辺の山には他所《よそ》の多くの山の概念とは少しばかりちがった色々の特徴があって面白い。ごく古い消火山と新しい活火山との中間物といったような気のする山である。形態が火山のようで、しかも大部分植物で蔽われている。しかしその植物界の「社会状態」が火山でない山とはだいぶ様子が違っているらしく見える。植物社会学者にでもこれに関する詳しい解説を聞いてみたいものである。
元箱根《もとはこね》町でまた自動車がつかえて動かなくなった。向うから妙な行列が来る。箱根観光博覧会の大名行列だそうである。挟箱《はさみばこ
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