も火災の軽減を講究する学術的機関を設ける必要のあることは前述のとおりであるが、民衆一般にももう少し火災に関する科学的知識を普及させるのが急務であろうと思われる。少なくもさし当たり小学校中等学校の教程中に適当なる形において火災学初歩のようなものを插入《そうにゅう》したいものである。一方ではまたわが国の科学者がおりにふれてはそのいわゆるアカデミックな洞窟《どうくつ》をいでて火災現象の基礎科学的研究にも相当の注意を払うことを希望したいと思う次第である。
まさにこの稿を書きおわらんとしているきょう四月五日の夕刊を見るとこの日午前十時十六分|函館《はこだて》西部から発火して七十一戸二十九|棟《むね》を焼き、その際消防手一名焼死数名負傷、罹災者《りさいしゃ》四百名中先日の大火で焼け出され避難中の再罹災者七十名であると報ぜられている。
きのうあった事はきょうあり、きょうあった事はまたあすもありうるであろう。函館にあったことがまたいつ東京|大阪《おおさか》にないとも限らぬ。考え得らるべき最悪の条件の組み合わせがあすにも突発しないとは限らないからである。同じ根本原因のある所に同じ結果がいつ発生しないと保証はできないのである。それで全国民は函館《はこだて》罹災民の焦眉《しょうび》の急を救うために応分の力を添えることを忘れないと同時に各自自身が同じ災禍にかからぬように覚悟をきめることがいっそう大切であろう。そうしてこのような災害を避けるためのあらゆる方法施設は火事というものの科学的研究にその基礎をおかなければならないという根本の第一義を忘却しないようにすることがいちばん肝要であろうと思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和九年五月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
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