るべし」というのは、現代の科学者が統計学の理論を持出してしかめつらしく論じることを、すらすらと大和言葉で云っているのである。この道理を口を酸《す》くして説いても、どうしても耳に入らぬ人が現代のいわゆる知識階級や立派な学者の中にでもいくらでも見出されるのは面白い現象である。
 尤も、第二百三十段を見ると、狐《きつね》が化け得ることを認めているようであるが、これは当時の科学知識の水準から考えて当然の事である。今日の科学知識でも明日はどうなるか分からぬものはいくらでもあるし、また現代の科学者でも狐に化かされる人はいくらでもあるのである。狐の事は第二百十八段にもある。ここでは狐が喰い付く動物になっている。
 第六十八段、大根が兵士に化ける話は少し怪しいが、次の六十九段と合せて読んで見ると寓意《ぐうい》を主として書いたものとも思われる。
 迷信とは少し事変るがいわゆるゴシップの人を迷わす例がある。猫又《ねこまた》のゴシップの力で犬が猫又になる話や、ゴシップから鬼が生れて京洛《けいらく》をかけ廻る話などがそれである。現代の新聞のジャーナリズムは幾多の猫又を製造しまた帝都の真中に鬼を躍らせる。新聞の
前へ 次へ
全15ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング