を見るべきを教えている。この他にも賭事《かけごと》や勝負に関する記事のあるところを見ると著者自身かなりの体験があったことが想像されて面白い。
 宿河原《しゅくがわら》のぼろぼろの仇討決闘の話でも、我執無慙《がしゅうむざん》を非難すると同時にまた「死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよさ」を讃えている。
 これらの著者の態度は一方から云えば不徹底で生煮えのようでもあるが、ものの両面を認識して全体を把握し、しかもすべての人間現象を事実として肯定した上で、可と不可とに対する考えをきめようとしているらしく思われる。この点がどこか吾々科学者の心掛けるものの見方に類するところがあるように思われるのである。
 以上述べたような項目の外に著しく多数に散在しているのは有職故実《ゆうそくこじつ》その他あらゆる知識に関するノートと云ったものである。これらも分類的に研究したら面白そうであるが今回は暇がないから略する。とにかく一方では遁世守愚をすすめながらも、また一方では知識というものの効能を高く買っていることがよくわかる。第五十一段の水車の失敗は先日の駆逐艦進水式の出来損ねを思い出させる。
 知識とは少しちがう「智恵」については第三十八段に「智恵出でては偽あり」とか「学びてしるは、まことの智にあらず」などと云っているのは現代人にも思い当たるふしがあるであろう。
 智恵の遊戯とも見られるウィティシズムの類例もいくつかある。第八十六、第百六、第百三十五などがそれであるが、これらにも多少の俳諧がある。
 子供の時から僧になった人とちがって、北面武士から出発し、数奇の実生活を経て後に頭を丸めた坊主らしいところが到る処に現われている。そうしてそういう人間が、全く気任せに自由に「そこはかとなく」「あやしう」「ものぐるほしく」矛盾も撞着《どうちゃく》も頓着しないで書いているところに、この随筆集の価値があるであろう。これらの矛盾撞着によって三段論法では説けない道理を解説しているところにこの書の妙味があるであろう。
 第八十段にディレッタンティズムに対する箴言《しんげん》がある。「人ごとに、我が身にうとき事をのみぞこのめる」云々の条は、まことに自分のような浮気ものへのよい誡《いまし》めであって、これは相当に耳が痛い。この愚かな身の程をわきまえぬ一篇の偶感録もこのくらいにして差控えるべきであろう。
 あ
前へ 次へ
全8ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング