うものがほとんどなかったようである。
 しかし先生は、「むだ」や「余白」だらけのだらしのない弟子《でし》たちに対して、真の慈父のような寛容をもって臨み、そうしてどこまでも懇切にめんどうを見てやるのに少しも骨身を惜しまれなかったように見える。自分がだらしがなくて、人には正確を要求する十人並みの人間のすることとは全く反対であったのである。
 先生が、もう少しだらしのない凡人であってくれたら、そうしたらおそらくもう少し長生きをされて、そうしてもう少し長く後進のためにもめんどうを見てくださることができ、また先生としてももう少しのどかな生涯《しょうがい》を送られたではないかという気がすることもある。しかしそれは結局だらしのない人間の言うことで、先生は先生としての最も意義ある最も充実した生涯を完成されたのであろう。
 こうして書き出してみると、先生の思い出はあとからあとから数限りもなく出て来るのであるが、この機会にはやはりこれくらいにして筆をおいたほうが適当であろうと思う。
 記憶違いのために事実相違の点もいろいろあるかもしれない。それについては読者の寛容を願いたいと思う。
 先生がかりに再生されて、この追憶を読まれたら、と想像してみる。先生はやっぱりにこにこして、何か一言ぐらい鋭いリマークをされて、そうして、それきりでゆるしてくださるであろうという気がするのである。
[#地から3字上げ](昭和七年十二月、理学部会誌)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1993(平成5)年2月5日第59刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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