からと云つて、芭蕉の句を剽竊であるに過ぎずと評し、一文の價値もなしと云ひ、又假りに剽竊でなく創意であつても猶平々凡々であり、「つれなくも」の一語は無用で此句のたるみであると云ひ、むしろ「あか/\と日の入る山の秋の風」とする方が或は可ならんかと云つて居る。併し自分の考は大分ちがうやうである。此の通りの古歌が本當にあつたとして、此れを芭蕉の句と並べて見ると、「須磨」や「明石」や「吹く」の字が無駄な蛇足であるのみか、此等がある爲に却つて芭蕉の句から感じるやうな「さび」も「しをり」も悉く拔けてしまつて殘るものは平凡な概念的の趣向だけである。此の一例は、俳句といふものが映畫で所謂カッティングと同樣な藝術的才能を要するといふことの適例であらう。平凡なニュース映畫の中の幾呎かを適當に切取ることによつて、それは立派な藝術映畫の一つのショットになり得る。一枝の野梅でもそれを切取つて活ける活け方によつて、それが見事ないけ花になるのと一般である。
同じく秋風の句で去來の「秋風や白木の弓に弦はらん」も有名であり又優れた句である。夏中に仕舞つたまゝで忘られて居た白木の弓を秋風來と共に取出して弦を張らうといふ、表面に現はれたものだけでも颯爽とした快味があるが、句の裏面に隱れた眞實にはさま/″\のものを拾出すことが出來よう。秋風が立つてから、眼に見えて吾人の身の※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りのものが乾燥して來るといふ氣象學的現象の實感、同時に氣温濕度の急變から起る生理的、ひいては又精神的な變化の表現が、活々とした句の裏面から映し出されてゐる。因襲的な秋風の淋しさに囚はれずに、此の句を作つた去來が如何に頭のいゝ、獨創的な自然の觀察者であつたかを證明するものであらう。
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五月雨を集めて早し最上川 芭蕉
五月雨や色紙へぎたる壁の跡 同
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前者は梅雨の雨量と、河水の運動量《モーメンタム》を、數字を用ゐずした數字以上に表現して居り、後者は濕度計を用ゐずして煤けた草庵の室内の濕氣を感ぜしめ、黴臭い匂ひを暗示する。前者には廣大な希望があり、後者には靜寂なあきらめがある。映畫ならば前者はロングショット、後者はクローズアップである。
同じ雨の濕めつぽさでも
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春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏 芭蕉
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には萌え出る生命の暗示を含むと同時に何處となく春の淋しさがにじんである。細みがあつて、しかも弱からず、しをりがあつてしかも感傷に陷らないのである。いくらでも作れさうで中々作れない句であらう。
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市中は物のにほひや夏の月 凡兆
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夏の晴れた宵の無風状態を「物の匂ひ」で描いたものである。月は銅色をして居て、町から町へ架け渡した橋の下には堀河の淀みがあるであらう。
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あれ/\て末は海行野分哉 猿雖
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七百三十ミリメーターの颱風中心は本邦を斜斷して大平洋へ拔けた。濱邊に打上げられた藻屑の匂を感じ、ひやひやと肌に迫る汐霧を感じるであらう。
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だまされし星の光や小夜時雨 羽紅
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見方によつては厭味[#「厭味」は底本では「壓味」]な所謂月並にもなり得るであらうが、時雨といふ現象の特徴をよく現はしたもので、氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。
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灰色の雲垂れかゝる枯野哉 漱石
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此れも極めて平易なやうで、しかも雪空の如實な描寫であり、一幅の淡彩畫である。描寫の祕密は中七字にある。所謂|落下縞《ファルストライフェン》を寫生したものである。
發句でない連句中の附句の中には、天文の季題そのものを描寫した句で佳句が甚だ多いやうである。此れには理由のあることである。畢竟、附句は隣の句との取合せによつて一つの全體をなすものであるから、句自身の中での色々な取合せをさけるからであらう。併し此處ではそれに就いて述べるべき餘白がない。
要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。子規が天文地理の季題が壯大なことを詠ずるに適して居ると云つたのも所由のあることである。動物や植物の季題で空間的背景を暗示することは一般には困難であらうと思はれる。
限られた紙數の爲に、擧げたいと思ふ多數の作例佳句を悉く割愛しなければならなかつたのは遺憾であるが止むを得ない次第である。
[#地から1字上げ](昭和七年八月 俳句講座)
底本:「科學と文學」角川書店
1948(昭和23)年12月25日初版発行
1949(昭和24)年9月20日3版発行
※底本の「「發句は…下手といふなり「」を、「「發句は…下手といふなり」」に改めました。
入力:内田明
校正:hongming
2003年11月7日作成
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