天文と俳句
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)天文學《アストロノミー》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)所謂|落下縞《ファルストライフェン》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)身の※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]り
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)あか/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物といふ風になつて居る。此等のうちで後の三つは別として、初めの三つの項目中に於ける各季題の分け方は現代の科學知識から見ると、決して合理的であるとは思はれない。
今日の天文學《アストロノミー》は天體、即、星の學問であつて氣象學《メテオロヂー》とは全然其分野を異にして居るにも拘らず、相當な教養ある人でさへ天文臺と氣象臺との區別の分らないことが屡々ある。此れは俳諧に於てのみならず昔から支那日本で所謂天文と稱したものが、昔のギリシャで「メテオロス」と云つたものと同樣「天と地との間に於けるあらゆる現象」といふ意味に相應して居たから、其因習がどうしても拔け切らないせゐであらう。それでかういふ混雜の起るやうになつた事の起りの責任は、或は寧ろ天文といふ文字を星學の方へ持つていつた人にあるかも知れない。
其れは兎に角、俳句季題の中で今日の意味での天文に關するものは月とか星月夜とか銀河とかいふ種類のものが極めて少數にあるだけで、他の大部分は殆ど皆今日の所謂氣象學的現象に關するものばかりである。
さうかと思ふと又季題で「時候」の部にはいつて居る立春とか夏至とかいふのは解釋のしやうによつては星學上の季節であり、又考へ方によつては氣象學上の意味をも含んで居る。又一方で餘寒とか肌寒とか、涼しとか暑しとかいふのは當然氣象學上の事柄である。
又一方では通例「地理」の部にはいつて居るものゝうちでも雪解とか、水温むとか、凍てるとか、水涸るとかいふのは當然氣象であり、汐干や初汐などは考へ方によつては寧ろ天文だとも云はゞ云はれなくはない。
併しかういふ季題分類法に關する問題は、此講座では自分の受持以外の事であるから、此處で詳論するつもりはない。唯此の一篇の主題としての「天文」を、從來の分類による天文だけに限らず、時候及地理の一部分も引くるめた、メテオロスの意味に解釋することにしたいと思ふのである。
季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
時に對立する空間的要素が、少くも表面上、何處にも指定されて居ないやうな俳句は可能である。例へば「時鳥ほとゝぎすとて明けにけり」といふやうなものでも矢張發句であり得るのである。勿論此れとても句の裏面には殘燈の下に枕を欹てゝ居る作者の居室の光景の潜在像は現在して居て、それがなければ此等の句は全然無意味な譫語に過ぎないのであらう。
併し、此のやうに、兎も角も表面上では場所の空間の表象を省略することが許されるに拘らず、時の要素の明瞭な表面が絶對必要とされるのは何故か。此れには深い理由があり、此事が又あらゆる文學中で俳句といふものに獨自な地位を決定する根本義とも連關して居ると思はれる。此に就て此處で詳しく述べて居る餘裕はないが、無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。
時の流れを客觀的に感ずるのは何等かの環境の流動變化にたよる外はない。年々の推移を「感ずる」のは春夏秋冬の循環的再歸によるのである。南洋の孤島のうちに、もしも、年中同じやうな氣候ばかり持續して居る處があるとすれば、其島の人には季節といふのは唯の言葉に過ぎないであらう。さういふ、春風もなければ秋風もない國では、季節の感じはありやうはなく、從つて俳句も生れ得
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