いどうぶつ》」の中で最大なるものは何か、という人困らせの疑問に対する正しい解答は「それは羽のない一種の蚊である」というのである。こんな国土もあることを考えると、われわれは蚊もいるが馬も牛もおり、しかも虎《とら》や獅子《しし》のいない日本に生まれたことの幸福を充分に自覚してもいいのである。
 今私は浅間山《あさまやま》のふもとの客舎で、この原稿を書きながらうぐいすやカッコウやホトトギスやいろいろのうたい鳥の声に親しんでいる。きじらしい声も聞いた。クイナらしい叩音《こうおん》もしばしば半夜の夢に入った。これらの鳥の鳴き声は季節の象徴として昔から和歌や俳句にも詠ぜられている。また、日本はその地理的の位置から自然にいろいろな渡り鳥の通路になっているので、これもこの国の季節的景観の多様性に寄与するところがはなはだ多い。雁《がん》やつばめの去来は昔の農夫には一種の暦の役目をもつとめたものであろう。
 野獣の種類はそれほど豊富ではないような気がする。これは日本が大陸と海で切り離されているせいではないかと思われる。地質時代に朝鮮《ちょうせん》と陸続きになっていたころに入り込んでいた象や犀《さい》などはたぶん気候の変化のために絶滅して今ではただ若干の化石を残している。
 朝鮮にいる虎《とら》が気候的にはそんなに違わない日本にいないのはどういうわけであるか、おそらく日本の地が大陸と分離した後になってこの動物が朝鮮半島に入り込んで来たのではないかと思われる。猫《ねこ》は平安朝に朝鮮から舶来したと伝えられている。北海道のひぐまも虎と同様で、東北日本の陸地の生まれたとき津軽海峡《つがるかいきょう》はおそらく陸でつながっていたのではないかと思われるが、それがその後の地変のために切断してそれが潮流のために広く深く掘りえぐられた、それから後にどこかからひぐまが蝦夷地《えぞち》に入り込んで来たのではないかと想像される。四国にはきつねがいないということがはたして事実ならばこれも同様な地史的意義をもつかもしれない。それはとにかく日本が大陸にきわめて接近していながら、しかも若干の海峡で大陸と切り離されているという特殊の地理的条件のために日本のファウナがどういう影響を受けているかということは上記の雑多な事実からも了解されるであろう。
 昔は鹿《しか》や猿《さる》がずいぶん多くて狩猟の獲物を豊富に供給したらし
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