に著しい相違が目立つようである。火山のすそ野でも、土地が灰砂でおおわれているか、熔岩《ようがん》を露出しているかによってまた噴出年代の新旧によってもおのずからフロラの分化を見せているようである。
 近ごろ中井《なかい》博士の「東亜植物」を見ていろいろ興味を感じたことの中でも特におもしろいと思ったことは、日本各地の植物界に、東亜の北から南へかけてのいろいろな国土の植物がさまざまに入り込み入り乱れている状況である、これも日本という国の特殊な地理的位置によって説明され理解さるべき現象であろう。中にはまた簡単には説明されそうもない不思議な現象もある。たとえば信州《しんしゅう》の山地にある若干の植物は満州《まんしゅう》朝鮮《ちょうせん》と共通であって、しかも本州の他のいずれの地にも見られないといったような事実があるそうである。それからまた、日本では夢にも見つかろうとは思われなかった珍奇な植物「ヤッコソウ」のようなものが近ごろになって発見されたというような事実もある。これらの事実は植物に関することであるが、しかしまた、日本国民を組成しているいろいろな人種的民族的要素の出所とその渡来の経路を考察せんとする人々にとってはこの植物界の事実が非常に意味の深い暗示の光を投げかけるものと言わなければならない。
 天然の植物の多様性と相対して日本の農作物の多様性もまた少なくも自分の目で見た西欧諸国などとは比較にならないような気がするのである。もっともこれは人間の培養するものであるから、国民の常食が肉食と菜食のどちらに偏しているかということにもより、また土地に対する人口密度にも支配されることであるが、しかしいずれにしても、作ろうと思えば大概のものは日本のどこかに作り得られるという事実の根底には、やはり気候風土の多様性という必須条件《ひっすじょうけん》が具備していなければならない道理であろう。
 農作物の多様性はまた日本のモザイック的景観をいろいろに色どりくまどっている。地形の複雑さは大農法を拒絶させ田畑の輪郭を曲線化し、その高低の水準を細かな段階に刻んでいる。ソビエトロシアの映画監督が「日本」のフィルムを撮《と》って露都で公開したとき、猫《ねこ》の額のような稲田の小区画に割拠して働く農夫の仕事を見て観衆がふき出して笑ったという話である。それを気にして国辱と思っている人もあるようである。しかし「
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