づいたことであった。たとえば、春季に庭前の椿《つばき》の花の落ちるのでも、ある夜のうちに風もないのにたくさん一時に落ちることもあれば、また、風があってもちっとも落ちない晩もある。この現象が統計的型式から見て、いわゆる地震群の生起とよく似たものであることは、すでに他の場所で報告したことがあった。
もう一つよく似た現象としては、銀杏《いちょう》の葉の落ち方が注意される。自分の関係しているある研究所の居室の室外にこの木の大木のこずえが見えるが、これが一様に黄葉して、それに晴天の強い日光が降り注ぐと、室内までが黄金色《こがねいろ》に輝き渡るくらいである。秋が深くなると、その黄葉がいつのまにか落ちてこずえが次第にさびしくなって行くのであるが、しかしその「散り方」がどうであるかについては去年の秋まで別に注意もしないでいた。ところが去年のある日の午後なんの気なしにこの木のこずえをながめていたとき、ほとんど突然にあたかも一度に切って散らしたようにたくさんの葉が落ち始めた。驚いて見ていると、それから十余|間《けん》を隔てた小さな銀杏《いちょう》も同様に落葉を始めた、まるで申し合わせたように濃密な黄金色の雪を降らせるのであった。不思議なことには、ほとんど風というほどの風もない、というのは落ちる葉の流れがほとんど垂直に近く落下して樹枝の間をくぐりくぐり脚下に落ちかかっていることで明白であった。なんだか少し物すごいような気持ちがした。何かしら目に見えぬ怪物が木々を揺さぶりでもしているか、あるいはどこかでスウィッチを切って電磁石から鉄製の黄葉をいっせいに落下させたとでもいったような感じがするのであった。ところがまた、ことしの十一月二十六日の午後、京都大学のN博士と連れ立って上野《うえの》の清水堂《きよみずどう》の近くを歩いていたら、堂のわきにあるあの大木の銀杏《いちょう》が、突然にいっせいの落葉を始めて、約一分ぐらいの間、たくさんの葉をふり落とした後に再び静穏に復した。その時もほとんど風らしい風はなくて落葉は少しばかり横になびくくらいであった。N博士も始めてこの現象を見たと言って、おもしろがりまた喜びもしたことであった。
この現象の生物学的機巧についてはわれわれ物理学の学徒には想像もつかない。しかし葉という物質が枝という物質から脱落する際にはともかくも一種の物理学的の現象が発現している事
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング