が不時に吹き込んで来たようなものであった。生徒の喜んだことはいうまでもない。おもしろいものが見られ聞かれてその上に午後の課業が休みになるのだから、文学士と蓄音機との調和不調和などを考える暇《いとま》はないくらい喜んだに相違ない。その時歓声をあげた生徒の中に無論私も交じっていた。
 校長の紹介で講壇に立った文学士は堂々たる風采《ふうさい》をしていた。頭はいがぐりであったが、そのかわりに立派な漆黒なあごひげは教頭のそれよりも立派であった。大きな近眼鏡の中からは知恵のありそうな黒い目が光っていた。引きしまった清爽《せいそう》な背広服もすべての先生たちのよりも立派に見えた。
 まず器械の歴史から、その原理構造などを明快に説明した後にいよいよ実験にとりかかった時には異常な緊張が講堂全体に充満していたわけである。いよいよ蝋管《ろうかん》に声を吹き込む段となって、文学士は吹き込みラッパをその美髯《びぜん》の間に見える紅《あか》いくちびるに押し当てて器械の制動機をゆるめた。そうして驚くような大きな声で「ターカイヤーマーカーラアヽ」と歌いだした。
 私はその瞬間に経験した不思議な感じを三十年後の今日でも
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