それを音として再現する装置もすでに発見されて、現にわが国にも一台ぐらいは来ているはずである。これならば任意に長い記録を作る事も理論上可能なわけであるが、なんと言っても電気装置などを使わずに弾条《ばね》と歯車だけで働くグラモフォンの軽便なのには及ばないわけである。
私の和製の蓄音機は二年ぐらい使った後に歯車の故障が起こって使用に堪えないものになってしまった。近所の時計屋などではどうしても直しきれなかった。もと買った店へ電話で掛け合ったら、取りには行かれないが持って来れば修繕してもいいという返事であった。買う時には店員まで付き添って雨の降る中を届けて来たのに、それでは少しおかしいとは思ったがどうにもならなかった。しかしはるばる持って行くのがおっくうなので長い間|納戸《なんど》のすみに押し込んだままになっていた。子供もおしまいにはあきらめて蓄音機の事は忘れてしまったようであった。
ある日K君のうちへ遊びに行ったらヴィクトロラの上等のが求めてあって、それで種々のいいレコードを聞かされた。レコードは同じのでも器械がいいとまるで別物のように感じられた。今までうちで粗末な器械でやっていたのはレコ
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