大道の蓄音機を聞いてみたいという希望をかなり強くもっていたにかかわらず、とうとう一度も聞く事ができなかった。私の知っている範囲の友だちや市民でこの蓄音機の管を耳にはさんでいるのを見かけた事もなかった。聞いているのはほとんど皆|田舎《いなか》の田舎から出て来たらしい最も文明と縁の遠い人たちであった。
 大道で蓄音機を聞くという事がたいして悪い事とは思われない。りんごをかじりながら街頭をあるくよりも、環視の中でメリーゴーラウンドに乗るよりもむしろいい事かもしれないのに、何かしらそれを引き止める心理作用があって私の勇気を沮喪《そそう》させるのであった。そのためにこの文明の利器に親炙《しんしゃ》する好機会をみすみす取り逃がしつつ、そんなこだわりなしにおもしろそうに聞いている田舎《いなか》の人たちをうらやまなければならなかった。このような「薄志弱行」はいつまでも私の生涯《しょうがい》に付きまとって絶えず私に「損」をさせている。
 大道蓄音機が文化の福音を片田舎に広めた事は疑いもないが、同時にあの耳にはさむ管の端が耳の病気を伝播《でんぱ》させはしなかったかと心配する。今ならばフォルマリンか何かで消毒するだろうが、あのころそういう衛生上の注意が行き届いていたかどうか疑わしい。しかし今日でも文化の輸入|伝播《でんぱ》に付いて来る種々な害毒がかなり激烈で、しかもそれを防ぐ事ができないのであるから、耳の病気ぐらいはやむを得ない事であったかもしれない。
 改良を加えた蝋管蓄音機《ろうかんちくおんき》を聞きそこなった私は、音色の再現がどのくらいまで完全に行ったかを経験する事ができなかった。しかしかなりまで完成に近づいていたには相違ない。種々な楽器の音や特に昔から問題となっている人声母音の組成要素を分析し研究するに適当な材料としてこの蝋管記録が種々に利用された。蝋管に刻まれた微細な凹凸《おうとつ》を巧妙な仕掛けで郭大した曲線を調和分析にかけて組成因子の間の関係を調べたりして声音学上の知識に貢献した事も少なくない。この種の研究は平円盤の発明によって非常な進捗《しんちょく》を遂げた事はいうまでもない。蝋管記録の寿命はせいぜい千回ぐらいであるのに平円盤の原型の寿命はほとんど永久であると言ってもよい。それでたとえば現在のある国語の発音を記録しておいて百年千年万年の後のものと比較してその変遷を調べる事
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング