が不時に吹き込んで来たようなものであった。生徒の喜んだことはいうまでもない。おもしろいものが見られ聞かれてその上に午後の課業が休みになるのだから、文学士と蓄音機との調和不調和などを考える暇《いとま》はないくらい喜んだに相違ない。その時歓声をあげた生徒の中に無論私も交じっていた。
校長の紹介で講壇に立った文学士は堂々たる風采《ふうさい》をしていた。頭はいがぐりであったが、そのかわりに立派な漆黒なあごひげは教頭のそれよりも立派であった。大きな近眼鏡の中からは知恵のありそうな黒い目が光っていた。引きしまった清爽《せいそう》な背広服もすべての先生たちのよりも立派に見えた。
まず器械の歴史から、その原理構造などを明快に説明した後にいよいよ実験にとりかかった時には異常な緊張が講堂全体に充満していたわけである。いよいよ蝋管《ろうかん》に声を吹き込む段となって、文学士は吹き込みラッパをその美髯《びぜん》の間に見える紅《あか》いくちびるに押し当てて器械の制動機をゆるめた。そうして驚くような大きな声で「ターカイヤーマーカーラアヽ」と歌いだした。
私はその瞬間に経験した不思議な感じを三十年後の今日でもありありとそのままに呼び返すことができるように思う。その奇妙な感じを完全に分析して説明する事は到底不可能であるが、種々雑多な因子の中にはもちろん緊張の弛緩《しかん》から来る純粋な笑いもあった。そこここに実際クスクス笑いだした不謹慎な人もあったようであった。しかしそれは必ずしも文学士その人に向けられた笑いばかりではおそらくなかったろうと思われる。この講堂建設以来この壇上で発せられた人間の声の中で、これくらい珍しいものはなかったに相違ない。忠君愛国|仁義礼智《じんぎれいち》などと直接なんらの交渉をも持たない「瓜《うり》や茄子《なすび》の花盛り」が高唱され、その終わりにはかの全く無意味でそして最も平民的なはやしのリフレインが朗々と付け加えられたのである。私はその時なんという事なしに矛盾不調和を感ずる一方では、またつめたい薄暗い岩室の中にそよそよと一陣の春風が吹き、一道の日光がさし込んだような心持ちもあった事を自白しなければならない。
吹き込みが終わった文学士は額の汗を押しぬぐいながらその装置を取りはずして、さらに発声用の振動膜とラッパを取りつけた。器械が動きだすとともに今の歌がそろそろ出て
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