てもらいたい。景色や風致がどうであるというのではなくて、何かしら学術上の研究資料の供給所として、あるいは一つの実験用|水槽《すいそう》として保存してほしいのである。
 ついでながら、あの池の成り立ちについても問題がある。ある人の話では、元来あすこに泉があったのを、前田家《まえだけ》の先祖が掘り下げて、今の形にしたのだそうである。そう言えば池の西北隅《せいほくぐう》から水がわいているらしい。そのへんだけ底に泥《どろ》がなくて、砂利《じゃり》が露出している事は、さおでつついてみるとわかる。あの池から、一つの狭い谷が北のほうへ延びて、今の動物地質教室の下から弥生町《やよいちょう》の門のほうへ続いていた事が、土工の際に明らかになったそうである。この池の地学的の意味についても、構内のボーリングの結果などを総合して考えてみたら、あるいは何事かわかりはしまいか。こんな空想を描いてみる事もできる。

 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿の※[#「木+眉」、第3水準1−85−86]間《びかん》にかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景とい
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