り、また論じようと思わない。
要は、予報の問題とは独立に、地球の災害を予防する事にある。想うに、少なくもある地質学的時代においては、起り得べき地震の強さには自ずからな最大限が存在するだろう。これは地殻そのものの構造から期待すべき根拠がある。そうだとすれば、この最大限の地震に対して安全なるべき施設をさえしておけば地震というものはあっても恐ろしいものではなくなるはずである。
そういう設備の可能性は、少なくも予報の可能性よりは大きいように私には思われる。
ただもし、百年に一回あるかなしの非常の場合に備えるために、特別の大きな施設を平時に用意するという事が、寿命の短い個人や為政者にとって無意味だと云う人があらば、それはまた全く別の問題になる。そしてこれは実に容易ならぬ問題である。この問題に対する国民や為政者の態度はまたその国家の将来を決定するすべての重大なる問題に対するその態度を覗《うかが》わしむる目標である。[#地から1字上げ](大正十三年五月『大正大震火災誌』)
底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
1997(平成9)年5月6日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年6月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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