ほうこうかい》等の財団または若干篤志家の有力な援助によって支弁され、そのおかげで次第に観測資料が蓄積され、その結果はわが国の有為な少壮学者らの手によって逐次に分析的に研究されつつあり、その研究の結果は現在世界の地球物理学者の注意を集めているようである。私は読者の中で国家百年の将来を思う人々があらば、どうかこういう国家的にも世界的にも意義の深い仕事に有形無形の援助を惜しまれないようにこの機会をかりて切望する次第である。
 人間が地上ばかりを歩いている間は普通の地図で足りるが、空を飛び歩くようになった今日では航空用の地図が必要になった。しかし、現在の航空地図はまだほんの芽ばえのようなもので普通の地形図に少しばかり毛のはえたものである。しかし今に航空がもっともっと発達して、空中の各層に縦横の航空路が交錯するようになればもはや平面的な図では間に合わなくなって立体的なあるいは少なくも立体的に代用される特殊な地図が必要になるかもしれない。
 空中ばかりでなく人間の交通範囲は地下にも拡張される傾向がある。
 関東大震後に私は首都の枢要部をことごとく地下に埋めてしまうという方法を考えたことがある。重要な官衙《かんが》や公共設備のビルディングを地上百尺の代わりに地下百尺あるいは二百尺に築造し、地上は全部公園と安息所にしてしまう。これならば大地震があっても大丈夫であり、敵軍の空襲を受けても平気でいられるようにすることができるからである。この私の夢のような案は当時だれもまじめには聞いてくれなかった。
 しかし現に丸《まる》の内《うち》の元警視庁跡に建築されることになっている第一相互の新館は地下六十尺に基礎をすえ、地下室が四階になるはずだそうで、いわば私の夢の一端がすでに実現されかけたように見える。もしも丸の内の他の建物もだんだんに地底の第三紀層の堅固な基礎の上に樹立される日が来れば、自然に建物と建物の各層相互の交通のために地下道路が縦横に貫通するようになるかもしれない。そうなれば丸の内の地図はもはや一枚では足りなくなって地下各層の交通を示す立体図が必要になる勘定である。
 九月一日は帝都の防空演習で丸の内などは仮想敵軍の空襲の焦点となったことと思われる。演習だからよいようなものの、これがほんとうであったらなかなかの難儀である。しかし、もしも丸の内全部が地下百尺の七層街になっていたとしたら、また敵にねらわれそうなあらゆる公共設備や工場地帯が全部地下に安置されており、その上に各区の諸所に適当な広さの地下街が配置されていたとしたら、敵の空軍はさぞや張り合いのないことであろうし、市民の大部分は心を安んじてその職につき枕《まくら》を高くして眠ることができるであろうと思われる。もしそうなれば、東京の地図が一枚で足りないというめんどうぐらいは我慢してもだれも小言はいわないであろう。
 これは今のところでは一場の夢物語のようであるが、実はこの夢の国への第一歩はすでに踏み出されている。そうして昨今国民の耳を驚かす非常時非常時の呼び声はいっそうこの方向への進出を促すように見える。
 東京市全部の地図が美しい大公園になってそこに運動場や休息所がほどよく配置され、地下百尺二百尺の各層には整然たる街路が発達し、人工日光の照明によって生育された街路樹で飾られている光景を想像することもそれほど困難ではないように思われるのである。

[#ここから2字下げ]
(付記) 陸地測量部の作業に関する項は知友技師|梅本豊吉《うめもととよきち》氏の談話によったが、もし誤記があったらそれは筆者の聞き違えである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ](昭和九年十月、東京朝日新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1993(平成5)年10月15日第61刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング