にはまず第一に三角点の位置を選定する選点作業が必要である。深山の峰から峰と一つ一つ登って行ってはそこから百キロ以内の他の高峰との見透しを調べて歩くのである。一点を決定するのに平均二週間はかかる。そうして三角点の配布が決定したら、次にはそこに櫓《やぐら》を組む造標作業がある。場所によっては遠い下のほうから材木を引き上げなければならず、また見透しの邪魔になる樹木を切らなければならない。これにも一点に約二週間はかかる。
 櫓《やぐら》ができたら少なくも一年は放置して構造の狂いを充分に落ち着かせてからいよいよ観測にかかる。一点における観測作業に天気がよくても二週間ぐらいはかかる。技師一人技手一人と測量人夫六名ないし十名ぐらいの一行でテント生活をする。場所によっては水くみだけでもなかなかの大仕事である。食料は米味噌《こめみそ》、そのほかに若布《わかめ》切り干し塩ざかななどはぜいたくなほうで、罐詰《かんづめ》などはほとんど持たない。野菜類は現場で得られるものは利用する。カラフトではいろいろな植物を片端から試験的に食ってみた人もある。渓流《けいりゅう》で小ざかなをつかみ取りにしたり、野獣を射止めて思わぬ珍味にありつくこともおりおりはあるそうである。
 北海道では熊《くま》におびやかされたり、食糧欠乏の難場で肝心の貯蔵所をこの「山のおじさん」に略奪されて二三日絶食した人もある。道を求めて滝壺《たきつぼ》に落ちて危うく助かった人もある。暴風にテントを飛ばされたり、落雷のために負傷したり、そのほか、山くずれ、洪水《こうずい》などのために一度や二度死生の境に出入しない測量部員は少ないそうである。それにもかかわらず技術官で生命をおとした人はほとんどないというのは畢竟《ひっきょう》多年の経験による周到な準備と注意によるものであろう。
 技術官に随行する測夫というのがまた隠れた文化の貢献者である。ただ一人山頂の櫓に回照器(ヘリオトロープ)を守って、時々刻々に移動する太陽の光束を反射して数十キロメートルかなたの観測点に送る。それには多年の修練によるデリケートな神経と筋肉の作用を要する。この測夫の熟練のいかんによって観測作業の進捗《しんちょく》が支配されるのである。ある時向こうの山頂の回照器がいつまで待っても光を送らない。信号をしても返事がない。行って見ると櫓から落ちて死んでいた。深山にただ一人だ
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