に画いてはエクスタシーに耽ったものと見えて、今でもなんだか本当に一度鷹を飼ったことがあるような気持がすることがある、もちろん事実は鷹などかつて飼った経験はないのである。
 明日はいよいよ鷹が貰えると思ってさんざんに待ちかねて、やっとその日になってみると鷹は今ちょうどトヤに入っているからもう二、三日待ってくれというのである。ひどくがっかりして、しかし結局あきらめて辛抱して待って、さてもういいかと思って催促すると、今度は何とかがどうとかして何とかで工合が悪いからもう二、三日待てという、その何とかが実に尤千万《もっともせんばん》な何とかで疑う余地などは鷹の睫毛《まつげ》ほどもないのだから全く納得させられる外はなかった。それから……。そういう風にして結局とうとう鷹の夢を存分に享楽させてもらっただけで、生きている実在の鷹はとうとう自分のものにならないでおしまいになった。はじめに交換条件で渡した品を返してもらったかもらわなかったか、それは思い出せない。
 これなどは幼年時代に受けた教育の中でもかなりためになる種類のものであったと思う。多分十歳くらいのことであったか、あるいは七、八歳だったかもしれない。
 ×の消息はその後全く分らない。
 尤も、この頃でもやはりときどきは「鷹を貰い損なう」ことがあるような気がするのである。
[#地から1字上げ](昭和九年八月『行動』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:川向直樹
2004年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング