ていたかは想像するに難くない。
非ユークリッド幾何学の出発点がいかに常識的におかしく思われても、これを否定すべき論理は見つからない。こういう場合にわれわれのとるべき道は二つある。すなわち常識を捨てるか、論理を捨てるかである。数学者はなんの躊躇《ちゅうちょ》もなく常識を投げ出して論理を取る。物理学者はたとえいやいやながらでもこの例にならわなければならない。
物理学の対象は客観的実在である。そういうものの存在はもちろん仮定であろうが、それを出発点として成立した物理学の学説は畢竟《ひっきょう》比較的少数の仮定から論理的|演繹《えんえき》によって「観測されうる事象」を「説明」する系統である。この目的が達せられうる程度によって学説の相対的価値が定まる。この目的がかなり立派に達せられて、しかも根本仮定が非常識だという場合に常識を捨てるか学説を捨てるかが問題である。現在あるところの物理学は後者を選んで進んで来た一つの系統である。
私は常識に重きを置く別種の系統の成立不可能を確実に証明するだけの根拠を持たない。しかしもしそれが成立したと仮定したらどうだろう。それは少なくも今日のいわゆる物理学とは
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