疲労してしまうのが落ちだ。……」(小泉八雲《こいずみやくも》の手紙。野口米次郎《のぐちよねじろう》、『小泉八雲伝』より)
科学の研究には設備と費用がかかるから、どうも孤独ではできない。しかしこのヘルンのつむじ曲がりの言葉の中には味わうべき何かはある。彼の言葉を少しばかり参考すると日本の科学はもう少し進みはしないか。
三
「私は言わば偶然にセリストになった。事によっては、ヴァイオリニストにもまたトロンボニストにもなったかもしれない。音楽が第一に来るもので特別な楽器ではない。しかし自分のメディアムとしてある特別な楽器を選んだ以上はできるだけ完全にそれを使用しなければならない。……私はあらゆるものから学んだ、ヴァイオリニストからも、唱歌者からも、器楽者からも。私の聞いたすべての音楽は私のセロに発想の上に新しい道を開いた。私は名手から学ぶと同様に下手からも学んだ。それはどうしてはいけないかを学んだのである。私は私の生徒からも多くを学んだ。」(パブロ・カザルスの言葉。マルテンスの『ストリングマスタリー』より拙訳)
スペシアリストのほんとうの意義、その心得を説き尽くしたものと思う。スペシアリズムは結局コンヴェンションであって理想ではない。われわれはよくそれを忘れる。そして自分の専門外の事に興味を失いやすい。セリストもピアニストも目ざすところは音楽であるように、われわれ物理学者も専門のいかんによらず目ざすところは物理[#「物理」に白丸傍点]であろう。
四
「京師《けいし》に応挙《おうきょ》という画人あり。生まれは丹波《たんば》の笹山《ささやま》の者なり。京にいでて一風の画を描出す。唐画にもあらず。和風にもあらず。自己の工夫《くふう》にて。新裳《しんしょう》を出しければ。京じゅう妙手として。皆まねをして。はなはだ流行せり。今に至りてはそれも見あきてすたりぬ。また江戸は奥州《おうしゅう》のかたへ属して。気質も京人のようにはなし。唐画にも。和画にも似ぬ風はのみ込まぬ事にて。わが自身|工夫《くふう》したりと言いては。それは法がないと言いて。請け取らず。しかれども。画はその物の形を見て。その形に似るをよしとす。法手本とするところは。すなわちその物なりと心得たる者も無きにもあらず。……」(司馬江漢《しばこうかん》、『春波楼筆記《しゅんぱろうひっき》』)
科学界にも京
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