面の峨々《がが》たる起伏の形容とも見られなくはない。「その長さ谿《たに》八谷《やたに》峡《お》八尾《やお》をわたりて」は、そのままにして解釈はいらない。「その腹をみれば、ことごとに常に血|爛《ただ》れたりとまおす」は、やはり側面の裂罅からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆的にそう言ったものと考えられなくはない。「八つの門《かど》」のそれぞれに「酒船《さかぶね》を置きて」とあるのは、現在でも各地方の沢の下端によくあるような貯水池を連想させる。熔岩流がそれを目がけて沢に沿うておりて来るのは、あたかも大蛇《だいじゃ》が酒甕《さかがめ》をねらって来るようにも見られるであろう。
 八十神《やそがみ》が大穴牟遅《おおなむち》の神を欺いて、赤猪《あかい》だと言ってまっかに焼けた大石を山腹に転落させる話も、やはり火山から噴出された灼熱した大石塊が急斜面を転落する光景を連想させる。
 大国主神《おおくにぬしのかみ》が海岸に立って憂慮しておられたときに「海《うなばら》を光《てら》して依《よ》り来る神あり」とあるのは、あるいは電光、あるいはまたノクチルカのような夜光虫を連想させるが、また一方では、きわめてまれに日本海沿岸でも見られる北光《オーロラ》の現象をも暗示する。
 出雲風土記《いずもふどき》には、神様が陸地の一片を綱でもそろもそろと引き寄せる話がある。ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼《とうしょ》との距離は恒同《こうどう》でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。それで、この国曳《くにび》きの神話でも、単に無稽《むけい》な神仙譚《しんせんだん》ばかりではなくて、何かしらその中に或《あ》る事実の胚芽《はいが》を含んでいるかもしれないという想像を起こさせるのである。あるいはまた、二つの島の中間の海が漸次に浅くなって交通が容易になったというような事実があって、それがこういう神話と関連していないとも限らないのである。
 神話というものの意義についてはいろいろその道の学者の説があるようであるが、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。少なくもそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。
 きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう。少なくもわが国民の民族魂といったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりもさらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がする。
 以上はただ一人の地球物理学者の目を通して見た日本神話観に過ぎないのであるが、ここに思うままをしるして読者の教えをこう次第である。
[#地から3字上げ](昭和八年八月、文学)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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