ほとんど食えないような装飾物であるが、ずっと昔これらのものが非常に珍しいうまい御馳走であった時代があったので、その時代にこれらのものが特別なとっときの珍肴《ちんこう》として持出され、そうして賞味され享楽されたものであろうという臆説が多数の承認を得たようであった。その後何年か後の正月にも前のことを忘れていてまた同じ問題を持出し、同じようなことを云ってみんなで気が付いて笑ってしまったことがある。その後正月の吉例にまたわざと同じ事を話して笑ったりしたこともあった。
 母が亡くなってから、いつとはなしに榧、勝栗、小殿原が正月の食卓の上に現われなくなった。そうして、それが現われなくなったことを誰も意識しなくなって来た。
 自分の子供等が今の自分ぐらいの年配になる頃には、ことによるともう正月に雑煮を喰うという習慣もおおかた忘れられて、そうしてその頃の年取った随筆家が「雑煮の追憶」でも一九六五年あたりの新年号に書くことになるかもしれない。そう思うと少し淋しい心持もするのである。
[#地から1字上げ](昭和十年一月『一橋新聞』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
※「瓦斯消費量のみを考慮に人れたようなストーヴ」のうち、誤植の疑われる「人」は、「寺田寅彦全集 第九巻」岩波書店、1961(昭和36)年6月7日第1刷発行で「入」としていることを確認し、「入」としました。
入力:Nana ohbe
校正:砂場清隆
2006年1月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング