昔現在の家を建てたとき一番日当りがよくて庭の眺めのいい室を応接間にしたら、ある口の悪い奥さんから「たいそう御客様本位ですね」と云って、底に一抹《いちまつ》の軽い非難を含んだような讃辞を頂戴したことがあった。この奥さんの寸言の深い意味に思い当る次第である。
 屠蘇《とそ》と吸物が出る。この屠蘇の盃が往々甚だしく多量の塵埃を被《かぶ》っていることがある。尤も屠蘇そのものが既に塵埃の集塊のようなものかもしれないが、正月の引盃《ひきさかずき》の朱漆の面に膠着《こうちゃく》した塵はこれとは性質がちがい、また附着した菌の数も相当に多そうである。日当りの悪い部屋だと塵の目立たぬ代りに菌数は多いであろう。アルコールで消毒はされるかもしれないがあまり気持の好いものではない。
 屠蘇と一緒に出される吸物も案外に厄介《やっかい》なものである。歯の悪いのに蛤《はまぐり》の吸物などは一番当惑する。吉例だとあって朝鮮の鶴と称するものの吸物を出す家があったが、それが妙に天井の煤《すす》のような臭気のある襤褸切《ぼろぎ》れのような、どうにも咽喉に這入りかねるものであった。
 御膳が出て御馳走が色々並んでも綺麗な色取りを第一にしたお正月料理は結局見るだけのものである。
 二、三軒廻って吸物の汁だけ吸うのでも、胸がいっぱいになってしまう。そうして新玉《あらたま》の春の空の光がひどく憂鬱に見えるのである。
 子供の時分の正月の記憶で身に沁みた寒さに関するものは、着馴れぬ絹物の妙につめたい手ざわりと、穿《は》きなれぬまちの高い袴《はかま》に釣上げられた裾の冷え心地であった。その高い襠《まち》で擦《す》れた内股《うちまた》にひびが切れて、風呂に入るとこれにひどくしみて痛むのもつらかった。
 今はどうか知らないが昔の田舎の風として来客に食物を無理強《むりじ》いに強いるのが礼の厚いものとなっていたから、雑煮《ぞうに》でももう喰べられないといってもなかなかゆるしてくれなかったものである。尤も雑煮の競食などということが普通に行われていた頃であるから多くの人には切餅の一片二片は問題にならなかったかもしれないが、四軒五軒と廻る先々での一片二片はそうそう楽なものではないのである。いよいよはいり切らなくなって吐き出し始めたら餅が一とつながりの紐《ひも》になって果てしもなく続いて出て来たなどという話を聞かされたこともある。真
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング