下車して研究所の仲間と一緒になり、新聞で真先に紹介された岸壁破壊の跡を見に行った。途中ところどころ家の柱のゆがんだのや壁の落ちたのが眼についた。木造二階家の玄関だけを石造にしたようなのが、木造部は平気であるのに、それにただそっともたせかけて建てた石造の部分が滅茶滅茶に毀《こわ》れ落ちていた。これははじめからちょっとした地震で、必ず毀れ落ちるように出来ているのである。
 岸壁が海の方へせり出して、その内側が陥没したので、そこに建て連ねた大倉庫の片側の柱が脚元を払われて傾いてしまっている。この岸壁も、よく見ると、ありふれた程度の強震でこの通りに毀れなければならないような風の設計にはじめから出来ているように見える。設計者が日本に地震という現象のあることをつい忘れていたか、それとも設計を註文した資本家が経済上の都合で、強い地震の来るまでは安全という設計で満足したのかもしれない。地震が少し早く来過ぎたのかもしれない。
 この岸壁だけを見ていると、実際|天柱《てんちゅう》は摧《くだ》け地軸も折れたかという感じが出るが、ここから半町とは離れない在来の地盤に建てたと思われる家は少しも傾いてさえいないのである。天然は実に正直なものである。
 久能山の上り口の右手にある寺の門が少し傾き曲り境内の石燈籠が倒れていた。寺の堂内には年取った婦人が大勢集まって合唱をしていた。慌ただしい復旧工事の際|足手纏《あしてまと》いで邪魔になるお婆さん達が時を殺すためにここに寄っているのかという想像をしてみたが事実は分らない。
 久能山麓を海岸に沿うて南へ行くに従って損害が急に眼立って来た。庇《ひさし》が波形に曲ったり垂れ落ちかかったり、障子紙が一とこま一とこま申合わせたように同じ形に裂けたり、石垣の一番はしっこが口を開いたりするという程度からだんだんひどくなって半潰家、潰家が見え出して来た。屋根が軽くて骨組の丈夫な家は土台の上を横に辷《すべ》り出していた。そうした損害の最もひどい部分が細長い帯状になってしばらく続くのである。どの家もどの家もみんな同じように大体東向きに傾きまたずれているのを見ると揺れ方が簡単であった事が分る。関東地震などでは、とてもこんな簡単な現象は見られなかった。
 とある横町をちょっと山の方へ曲り込んでみると、道に向って倒れかかりそうになったある家に支柱をして、その支柱の脚元を固める
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