んラジカルな意見であろうと思われる。
 彼の好色物に現われた性生活の諸相の精細な描写記録は、この人間界の最も深刻な事実を事実として客観的に集輯したものであるには相違ないが、彼がそういうものを著述する際における彼の態度が、果して動物の観察者が動物の生活を記載する場合と同じものであったかどうかは疑問である。勿論、大衆読者というものを意識していることは云うまでもないことであるが、しかし、もしも彼の中に伝統的な恋愛道徳観が強烈に活きてはたらいていたら、こういう、当時としては破天荒なものを書く気にはなれなかったであろうと想像される。そういう方向から見ると、西鶴は当代としては非常に飛び離れた性道徳観の信奉者であったと思われないこともない。少なくも、恋愛の世界を勧善懲悪の縄張りから解放すべきものと考えていたのではないかと思われるふしが少なくないのである。
 これらの武士道観、恋愛観は、ある意味からともかくも唯物論的な西鶴の立場を窺わせる窓口となるものでないかと思われる。
『永代蔵』中に紹介された致富の妙薬「長者丸」の処方、『織留』の中に披露された「長寿法」の講習にも、その他到る処に彼一流の唯物論的処世観といったようなものが織り込まれている。
 これらは、西鶴一流とは云うものの、当時の日本人、ことに町人の間に瀰漫《びまん》していて、しかも意識されてはいなかった潜在思想を、西鶴の冷静な科学者的な眼光で観破し摘出し大胆に日光に曝したものと見ることは出来よう。もしもそうでなかったらいかに彼の名文をもってしても、書肆《しょし》の十露盤《そろばん》に大きな狂いを生じたであろうと思われる。

 要するに西鶴が冷静|不羈《ふき》な自分自身の眼で事物の真相を洞察し、実証のない存在を蹴飛ばして眼前現存の事実の上に立って世界の縮図を書き上げようとしている点が、ある意味で科学的と云っても大した不都合はないと思われる。
 科学者にも色々の型がある。馬琴型の立派な科学者も決して稀ではない。いわゆるアカデミックな学界の権威にはこの型が多い。しかしまた一方で西鶴型の優れた科学者も時に出現し、そうしてそういう学者の中に往々劃期的な大発見、破天荒の大理論を仕遂げる人が生まれるようである。科学全体としての飛躍的な進歩はただ後者によって成さるると云っても過言ではない。
 西鶴を生んだ日本に、西鶴型の科学者の出現を望むの
前へ 次へ
全12ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング