器《ごき》かさねての御意」などもそうした例であると同時に、西鶴の実証主義を暗示するものと見られる。
彼の実証主義写実主義の現われとしてその筆によって記録された雑多の時代世相風俗資料は近頃ある人達の称える「考現学的」の立場から見て貴重な材料を供給するものであることは周知なことである。例えば当時の富人の豪奢の実況から市井裏店《しせいうらだな》の風景、質屋の出入り、牢屋の生活といったようなものが窺われ、美食家や異食家がどんなものを嗜《たしな》んだかが分かり、瑣末《さまつ》なようなことでは、例えば、万年暦、石筆(鉛筆か)などの存在が知られ、江戸で蝿取蜘蛛《はえとりぐも》を愛玩した事実が窺われ、北国の積雪の深さが一丈三尺、稀有の降雹《こうひょう》の一粒の目方が八匁五分六厘と数字が出ている。好色物における当時の性的生活の記録については云うも管《くだ》であろう。
実証的な西鶴のマテリアリズムは彼の「町人もの」の到る処に現われているのであるが、『永代蔵』にある「其種なくて長者になれるは独りもなかりき」という言葉だけからもその一端を想像される。彼は興味本位の立場から色々な怪奇をも説いてはいるが、腹の中では当時行われていた各種の迷信を笑っていたのではないかと思われる節もところどころに見える。『桜陰比事』で偽山伏を暴露し埋仏詐偽の品玉を明かし、『一代男』中の「命捨ての光物」では火の玉の正体を現わし、『武道伝来記』の一と三では鹿嶋の神託の嘘八百を笑っている。
この迷信を笑う西鶴の態度は翻って色々の暴露記事となるのは当然の成行きであろう。例えば『諸国咄』では義経やその従者の悪口棚卸しに人の臍《へそ》を撚《よ》り、『一代女』には自堕落女のさまざまの暴露があり、『一代男』には美女のあら捜しがある。
このような批判の態度をもって西鶴が当時の武士道の世界を眺めたときに、この特殊な世界が如何に不合理に見えたかということは想像するに難くないのである。由来西鶴の武家物は観察が浅薄であり、要するに彼は武士というものに対する認識を欠いていたというのが従来の定評のようで、これも一応尤もな考え方であると思うが、しかしこれについて多少の疑いがないでもない。『武道伝来記』に列挙された仇討物語のどれを見ても、マテリアリストの眼から見た武士|気質《かたぎ》の不合理と矛盾の忌憚《きたん》なき描写と見られないものはな
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