中の「嵐」という小品の中に、港内に碇泊《ていはく》している船の帆柱に青い火が灯《とも》っているという意味のことを書いてあるのに対して、船舶の燈火に関する取締規則を詳しく調べた結果、本文のごとき場合は有り得ないという結論に達したから訂正したらいいだろうと云ってよこした人があった。しかしそれは訂正しないでそのままにしておいた。この小品は気分本位の夢幻的なものであって、必ずしも現行の法令に準拠しなければならない種類のものでもないし、少なくも自分の主観の写生帳にはちゃんと青い燈火が檣頭《しょうとう》にかかったように描かれているから仕方がないと思ったのである。
 去年の暮には、東京の某病院の医員だという読者から次のような抗議が来た。
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「(前略)然《しか》る処《ところ》続冬彦集六八頁第二行に、『速度の速い[#「速い」に白丸傍点]云々(速度の大きい[#「大きい」に白丸傍点]に非ず)』と有之《これあ》り之《これ》は素人なら知らぬ事物理学者として云ふべからざる過誤と存じ候、次の版に於ては必ず御訂正あり度《た》し 失礼を顧みず申上ぐる次第に御座候 敬具」
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 なるほど、物理学では速度の大小というのが正当で、遅速をいうならば運動の遅速とでもいわなければ穏当でないかと思われる。それでもしこれが物理学の教科書か学術論文の中の文句であるとすれば当然改むべきはずであるが、随筆中の用語となると必ずしも間違いとは云われないかもしれない。紺屋の白袴、医者の不養生ということもあるが、物理の学徒等が日常お互いに自由に話し合う場合の用語には存外合理的でないものが多数にあって、問題の「速度のはやい」などもその一例である。この場合の「速度」は俗語の「はやさ」と同義であって術語のヴェロシティーと同じではないのである。例えばまた「のろい週期」などという言葉も平気で使うが「長い週期」というよりも日常会話にはこの方が実感があるから自然にそんな用例が出来るのであろうと思われる。「のろい振動の長い週期」を略して「帝展」「震研」流に云ったものと思えば不思議はないのである。従って、「速度のはやい」なども実感を強めるための俗語として「速度の大なるすなわち運動の速い」の略語として通用を許してもそれがために物理学は何の損害をも受ける心配はないかと思われる。それで、負惜しみのようではある
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